戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

スービヤー sūbiyā

小麦粉から作られる発酵飲料。酒に分類される場合もあった。また米や米粉から作るスービヤーもあった。イエメンのラスール朝では、甘味や香味が加えられたものが宮廷で飲用されていた。

フッカーゥ fuqqāʾ

大麦から作られる発泡した発酵飲料。発酵作用により、わずかながらアルコールを含有していた可能性がある。イエメンのラスール朝では宮廷でも飲用されていた。

上山 景高 うやま かげたか

沼田小早川氏庶子家の上山氏の当主。官途名は安芸守。出家して聖玖を号した。本家にあたる椋梨子氏を盟主とした一揆に加わり、惣領家に対抗した。

上山 高平 うやま たかひら

沼田小早川氏庶子家の上山氏の当主。官途名は掃部助。父は上山信平、祖父は和木為平。系図によると彦平という兄がいた。南北朝期、後醍醐天皇方(南朝方)となり、備後国や安芸国で足利尊氏方(北朝方)と戦った。

風早 式部 かざはや しきぶ

竹原小早川氏の家臣。15世紀末頃の同氏の正月儀礼を記した史料にその名がみえる。安芸国風早浦の領主とみられ、大きな経済力を有していた可能性がある。

備中紙 びっちゅうがみ

備中国で生産された紙。備中国は平安期以前から紙の産地だったが、15世紀中頃から特に檀紙類の産地として知られるようになる。備中国内では新見荘など北部地域で生産が盛んであった。

紙(新見荘) かみ

備中国北部の荘園である新見荘で生産された紙。備中国は『看聞日記』永享十三年(1441)正月十九日条に「備中檀帋」がみえるなど、高級檀紙の産地として京都でも知られていた。

備中鉄 びっちゅうてつ

備中国で産出した鉄。中世、同国の鉄は全国的な名産品であった。室町期、摂津国の商人が新見荘で「くろかね(鉄)」を質物としており、畿内の商人が鉄の買付に訪れていたことが知られる。

たまかき

備中国新見荘の惣追捕使・福本盛吉の兄弟。女性ともされる。新見荘代官祐清の死後、その遺品の形見分けを望む書状を東寺に書き送ったことが知られる。

祐清 ゆうせい

東寺の僧侶。寛正三年(1462)に備中国新見荘の代官として現地に下向し、支配にあたった。東寺としては久々の直務代官であったが、その支配は困難を極め、最期は現地で横死することとなった。

新見 にいみ

備中国北部の荘園である新見荘にあった市庭町。領家方と地頭方の両地域にそれぞれ市庭在家をもつ市庭が形成されていたが、領家方の市庭が規模が大きかったと推定されている。荘園領主である東寺に多くの文書が残されていることも特徴。

ビリヤニ Biryani

インドやその周辺国で食べられている香辛料とお肉の炊き込みご飯。ペルシア(イラン)料理のプラオ、あるいはプラオが元となった中央アジアのポロなどが源流ではないかとされている。1641年(寛永十八年)、ポルトガル人がパキスタン北部の都市ラホール…

ヴォイニッチ手稿 Voynich Manuscript

20世紀前半、イタリアの僧院で発見された書物。15世紀から16世紀ごろに作成されたとみられるが、未知の文字で記述されており、挿図には未知の植物などが描かれている。神聖ローマ皇帝の蔵書となった後、17世紀に入って錬金術師や学者たちがその解読…

劉 綎 りゅう てい

中国明朝の武将。劉顯の子。江西南昌の人。苗族をはじめとする諸民族から構成される家丁(私兵)を率い、後には朝鮮で捕虜となった日本兵も自軍に加え、南西中国の反乱鎮圧などで活躍した。怪力の持ち主で、重量のある刀の操作が巧みであることから「劉大刀…

陳 寅 ちん いん

中国明朝の武将。字は賓陽。浙江温州府金郷衛の出身(申欽『象村集』巻57)。倭寇討伐で頭角を現し、朝鮮での日本軍との戦い、四川での反乱鎮圧などに功を挙げた。火器運用のエキスパートとしても知られた。

トリスタン・デ・ガ Tristão de Gá

中国浙江沖の双嶼を拠点としたポルトガル人海商。16世紀初頭、ポルトガルのインド副王に従い、インドで活動していた。後に双嶼に拠点を移し、中国や東南アジア海域での貿易に従事して財をなした。

ランサロッテ・ペレイラ Lançarote Pereira

中国浙江沖の双嶼を拠点としたポルトガル人海商。フルネームはランサロッテ・ペレイラ・デ・アブリュウ。中国文献では「浪沙囉的嗶咧」としてみえる。双嶼のポルトガル人有力者の一人であり、明軍による双嶼攻撃の要因を作ったとされる。

袁 璡 えん しん

中国明朝の辺将。寧波衛指揮使。1523年(大永三年)五月の寧波事件において、大内氏の遣明使節の捕虜となり、日本に連れ去られた。事件後、袁璡の本国送還が日明間の交渉における懸案事項の一つとなる。

朱 縞 しゅ こう

中国明朝の寧波府鄞県を出身とする明人。字は素卿。宋素卿とも名乗った。若くして日本に渡り、細川高国の派遣する遣明使節に関わった。後に寧波事件の中心人物となり、明朝当局に収監された。

トウモロコシ(ヨーロッパ) とうもろこし

中米を原産とするイネ科の穀物。15世紀末、コロンブス(クリストバル・コロン)らがアメリカ大陸から持ち帰ったことを契機として、ヨーロッパに普及した。「トルココムギ」とも呼称されたが、その由来には諸説あるとされる。

トウモロコシ(中国) とうもろこし

中米を原産とするトウモロコシは、16世紀には中国に伝播していた。16世紀後半、杭州や福建で栽培が行われていたことが記録にみえる。当時の中国においては、番麦、御麦、玉蜀黍、玉米、玉麦、玉蜀林などと呼称された。

玉蜀黍 なんびんきび

中米を原産とするイネ科の穀物。トウモロコシ。16世紀後半にヨーロッパ経由で日本に伝来したとみられる。日本では玉蜀黍と表記し、ナンバンキビあるいはタマキビと呼ばれたが、関東ではトウモロコシと呼称されるなど、地域によって様々な呼び名があった。

糸原 勝秀 いとはら かつひで

陶氏家臣。官途名は藤蔵人。筑前国博多において須子備後守とともに陶氏の銭米の管理・出納に関わった。

須子 備後守 すこ びんごのかみ

陶氏家臣。筑前国博多において糸原勝秀とともに陶氏の銭米の管理・出納に関わった。実名は惟明である可能性がある。

頼勢 らいせい

安芸国竹原庄西谷にあった萬福寺の住職。永禄三年(1560)、楽音寺に大般若波羅蜜多経が施入された際、折本作業の中心を担った。

肥留 景忠 ひる かげただ

陶氏家臣。陶興房、後に隆房に仕えた。官途名は惣右衛門尉。奉行人として陶氏所領および所領から収納される銭米を管理にあたった。陶興房の側近として興房への取次を担当することもあった。

桟留縞 さんとめ じま

江戸期、ポルトガルやオランダの商船によって日本に輸入された縞織物の一つ。紺地に茶または赤の経(たて)縞糸を入れた縞物。その名は、インド東岸のコロマンデル地方の港市サントメ(サントメ・デ・メリアポル)に由来するとみられる。江戸初期には絹織物…

サントメ(マイラープール) Sao Tome(Mayilappur)

インド東岸のコロマンデル海岸の港市。古くはローマや中国とも通交した南インドのパッラヴァ朝の海港として知られた。またヒンドゥー教やシリア派キリスト教の信仰の地として巡礼者も多かったという。16世紀にポルトガルが進出すると聖トマスの聖地とされ…

マドラス Madras

インド東岸のコロマンデル海岸中央部の港町。元は小さな漁村だったが、17世紀前半、イギリス東インド会社がセント・ジョージ要塞を建設し、コロマンデル海岸における中心拠点としたことを契機に都市として発展した。周辺地域が戦争の多発などで不安定な政…

モートゥパッリ Motupalli

インド東岸のコロマンデル海岸北部の港町。13・14世紀、カーカティーヤ朝やレッディ朝の時代、周辺の港町との交易だけでなく、中国やペルシア方面を結ぶ東西貿易の拠点として栄えた。ヴェネツィア人のマルコ・ポーロの旅行記にも、13世紀末のモートゥ…