戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

トウモロコシ(ヨーロッパ) とうもろこし

 中米を原産とするイネ科の穀物。15世紀末、コロンブス(クリストバル・コロン)らがアメリカ大陸から持ち帰ったことを契機として、ヨーロッパに普及した。「トルココムギ」とも呼称されたが、その由来には諸説あるとされる。

ヨーロッパへの伝播

 1493年(明応二年)3月、クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)がアメリカ大陸への第一次航海を終えて、スペインのパロスに帰港。この時、彼が持ち帰った数々の物品の中にトウモロコシも含まれていた。コロンブスの部下だったペドロ・マルチル・ド・アングレリアは、11月にスフォルザ枢機卿に宛てた手紙の中でトウモロコシについて以下のように記している。

長さ1パルモ(約20センチ)で先がとがり、腕ほどの太さの穂をもち、穂には殻粒がきちんと整列していて、殻粒は形や大きさがスズノエンドウに似ていて、未熟のときは白く、成熟すると黒くなり、粉に挽くと雪よりも白くなる植物があり、人々はメイズと呼んでいる

 1494年(明応三年)にコロンブスの船が第二次航海から帰港したときには、ド・アングリアが白および黒のトウモロコシの種子を持ち帰った。この時の品種は、カリビア型の熱帯系フリントであったとされる。

 同じ年、ニコロ・シラキオがイタリアのパヴィアで出したパンフレットには、新世界からやってきた珍しい物の一つとして、トウモロコシが紹介されている。名前はまだついていなかった。

イベリア半島・フランスでの普及

 フリア・プルデンチオ・ド・サンドヴァルが書いた『皇帝チャールズ5世伝』の中に、1521年(大永元年)にスペイン北東部のビスケー湾に面するサン・セバスティアンで、すでにトウモロコシがみられたとの記述がある。

 またアメリカ大陸に渡った経験を持つゴンザロ・フェルナンデ・ド・オヴィエドは、1530年以前に、スペインのカスティーユ地方のアヴィラ近傍で「10パルモ(約2メートル)ほどの高さの茎をもち緑色で美しいトウモロコシが栽培されているのを見た」と述べている。なおオヴィエドは、1526年(大永六年)と1537年(天文六年)に著した本の中で、トウモロコシの栽培と利用方法についても厳密かつ科学的に言及している。

 ポルトガルにおいては、1515年(永正十二年)から10年の間に、中部のコインブラでトウモロコシの栽培が行われたとされる。1533年(天文二年)の地方の商取引表にすでにトウモロコシの価格が載っており、これによると、トウモロコシの価格はコムギより20%低いが、ライムギ、オオムギ、キビよりは高かった。

 トウモロコシの栽培は、スペインから隣国フランスにも拡大した。フランスのバイヨンヌ市の公文書にトウモロコシの注文書が残されている。この注文は、ロートレックの子爵で陸軍元帥であったオデット・ド・フォアによるもので、1523年(大永三年)5月14日の日付があり、トウモロコシをブタの飼料用にすると記されている。

 17世紀、トウモロコシはフランス国内でさらに普及。1670年頃、イギリスの哲学者ジョン・ロックは、フランス南部では多くの場所でトウモロコシが栽培され、貧困層の食糧となっていると記している。それらはもともとスペインから輸入されたものなので、スペインコムギと呼ばれていたという。

イタリア半島

 1520年代、ヴェネツィア共和国の外交官アンドレア・ナヴァゲロがトウモロコシの種子を持ち帰ったと記録している。ナヴァゲロは、ヴェネツィア出身でスペインのセビリア在住の植物学者ジョヴァンニ・ラムシオを訪ねた折に、トウモロコシが栽培されているのを見て、種子を譲り受けたという。

 トウモロコシの栽培は1553年(天文二十二年)にヴェネツィアの平野で始まったとされ、1571年までに、ヴェネツィアで食用となっており、16世紀末には、トウモロコシの粉をコムギや他の穀類の粉と混ぜてパンが作られていた。またトウモロコシは細かく粉に挽かれてペースト状にされて、ポレンタ(穀類を材料とした粥状の料理)の材料ともされた。

 1601年(慶長六年)のヴェネツィアのリアルト市場の記録には、トウモロコシは「最も貧しくみじめな人々によって買われる」と書かれている。17世紀初めまでには、ヴェネツィア共和国のどの州でもトウモロコシは主食となっており、1617年(元和三年)には、はじめて土地の賃貸料をトウモロコシで納めてもよいということになった。

ドイツとイギリス

 1542年(天文十一年)、ドイツのチュービンゲン大学教授であった医師のレオンハルト・フックスは、植物とその医学的効用を示したラテン語の大著を刊行。その中に約500の植物が木版画があり、トウモロコシも描かれている。ただし、名前はトルココムギ(TVRCICVM  FRVMENTVM)となっている*1

 トウモロコシはこの頃までに、ドイツ国内の庭園に植えられていたと推定されている。ドイツのような高緯度の地域では、トウモロコシは畑で広く栽培される作物というより、庭園内にわずかの個体を見本に植えて楽しむ観賞植物であったらしい。

 イギリスには16世紀後半にフランスから伝わったとされる。しかしイギリスの植物学者のジョン・ジェラルドは、1597年(慶長二年)の著書でトウモロコシ(トルココムギ)について下記のように酷評している。

トルココムギ(Turky Wheate)は、コムギ、ライムギ、オオムギエンバクのどれよりもはるかに栄養に乏しい。トルココムギからつくられるパンは、フスマがなく、白くて見栄えがしない。そのパンは、ビスケットのように硬くパサつき、まったく水気がない。そのため消化がわるく、身体にほとんど、またはまったく栄養を与えない。(中略)
野蛮なインディアンたちは、トウモロコシよりすぐれた作物を知らないので、やむをえず主食とし、よい食物だと思っているが、私たちは、トウモロコシには栄養はあるがわずかで、消化もわるく、人間の食物よりも豚の飼料に適している、と文句なしに評価できる

 トウモロコシについてのこのような偏見は、イギリスでは17世紀半ばまで続いたという。 

参考文献

  • 鵜飼保雄 『トウモロコシの世界史 神となった作物の9000年』 悠書館 2015

トウモロコシ (Zea Mays) アンセルムス・ボエティウス・デ・ブート 1596 - 1610
アムステルダム国立美術館  https://www.rijksmuseum.nl/nl/rijksstudio

*1:トウモロコシに対するトルココムギの呼称は、これ以前からあった。フランスのジャン・リュエル(ルエリウス)は、1536年(天文五年)の著書『自然の植物』(De Natura Stirpium)の中で、トウモロコシをTurcicum frumentum(トルココムギ)の名で記している。