戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-05.東海・関東地方

天命 てんみょう

武蔵・上野方面から宇都宮や小山へ至る幹線交通路の要衝に位置した宿場町。「天命」は広義には下野国阿曽郡の地名で、北は堀籠郷、南は馬門郷におよぶ地域。中世以降、天命鋳物の生産が盛んになった。

宇都宮 うつのみや

下野国一宮宇都宮明神の門前町。神宮御家人・宇都宮氏の本拠。また鎌倉と奥州を結ぶ街道・奥大道が南北に通過する交通の要衝であり、宿場町も発展した。

那珂湊 なかみなと

太平洋に面する房総半島東岸に位置する港町。戦国期、国人・勝浦正木氏の本拠となり、また廻船の発着する海運の拠点でもあった。

勝浦 かつうら

太平洋に面する房総半島東岸に位置する港町。戦国期、国人・勝浦正木氏の本拠となり、また廻船の発着する海運の拠点でもあった。

倉賀野 くらがの

上野国西部の交通上の要衝。現在の群馬県高崎市倉賀野町。近世では烏川の最も上流の河岸が存在し、中山道の宿場でもあったことから、町場が形成されて繁栄した。町場の形成は中世に遡るといわれる。

佐貫八幡 さぬき やわた

内海(現・東京湾)への入口である浦賀水道の東側、染川河口部の鶴峰八幡宮門前に位置した港町。上総国西部の要衝・佐貫城の城下港であり、同時に対岸の三浦半島への渡航地でもあった。

富津 ふっつ

内海(現・東京湾)に突出した富津崎先端部(現・富津元州地区)の港町。古戸とも呼ばれた。六浦など対岸地域への渡航地として、内海交通の一端を担って栄えた。

市原八幡 いちはら やわた

下総国との国境付近、飯香岡八幡宮の門前に位置した港町。内海(現・東京湾)交通、および陸上交通の要衝として宿場、市場などと一体となって栄えた。

品河 しながわ

江戸湾の最奥部、目黒川(品川)河口部に位置した港町。中世、関東屈指の要港として江戸湾水運のみならず伊勢、紀伊方面など遠隔地との海運の中心を担って繁栄した。

神奈河 かながわ

内海(現・東京湾)西岸、帷子川の河口に開かれた港町。中世後期、品河とならぶ内海の主要港として栄えた。

六浦 むつら

内海(現・東京湾)に向かう天然の良港・平潟湾に面する港町。仁治元年(1240)に朝比奈切通が開削されて以後、関東の中心・鎌倉の外港を担って栄えた。

浦賀 うらが

三浦半島東岸の入江に臨む港町。内海(現・東京湾)水運の要港であり、戦国期、北条氏の水軍基地となった。

小田原 おだわら

戦国大名・北条氏の本拠・小田原城の城下町。上方と関東を結ぶ幹線道路である東海道が、甲州道と分岐する要衝に位置する。

韮山 にらやま

伊豆国の大動脈・狩野川の平野部への入口に位置する韮山城の城下町。韮山から西に4Km移動すると、江浦などの港湾に至る。交通の要衝であり、室町・戦国期、北条氏のもとで同国の政治・経済の中心となった。

江浦 えのうら

伊豆国中部山間地域から流れる狩野川の支流が注ぐ天然の良港・江浦湾に臨む港町。戦国期には、伊勢国や三河国、遠江国など太平洋沿岸の遠隔地との水運で栄えていた。

沼津 ぬまづ

伊豆国中部山間地域から流れる狩野川と、駿河国東部の山間地域から流れる黄瀬川とが合流して海に注ぐ河口部に位置する港町。後背地に東海道が通るなど、水陸交通の要衝の地位を占めた。

吉原 よしわら

富士川や潤井川をはじめとする大小河川の河口部に位置した港町。東海道と並行する街道と、富士大宮を経由して甲斐に至る街道の結節点にも位置した。

興津 おきつ

駿河湾西岸、興津川河口部近くに位置する湊町。中世、水運活動を展開した興津氏の本拠として、同氏水運の基地を担った。

江尻 えじり

駿河国庵原郡の巴川河口部に位置した港町。中世、伊勢海地域と関東(坂東)を結ぶ太平洋航路の中継港として栄えた。

清水 しみず

駿河国庵原郡の巴川河口部右岸に位置する港町。巴川河口部左岸には、港町江尻があった。戦国期から今川氏領国地域の主要港、太平洋航路の中継港として、それまでの江尻の機能を継承する形で史料上にみえるようになる。

久能寺浦 くのうじ うら

駿河湾に面する久能山の山麓に位置した天台宗寺院・久能寺の寺領内に形成された港町。中世、久能寺浦の船は久能寺に掌握され、少なくとも今川氏領国各地に運航し、商業活動を行っていた。

小河 こがわ

駿河湾西岸の朝比奈川河口部に位置する港町。現在の城之腰・鰯ヶ島地域に湊があったと推定されている。古くから周辺荘園の物資積出港として広域流通の拠点を担った。

石津 いしづ

今川氏領国の港の一つ。現在の小川港にあたると考えられている。

相良湊 さがら みなと

駿河湾の西南岸に位置する港町。遠江国東岸の要港として栄えたと思われる。

懸塚 かけづか

遠江国天竜川河口部に位置する港町。天竜川流域と遠州灘、太平洋を結節する水運の拠点を担い、遠州灘海運の中心的地位を占めた。

新居 あらい

浜名湖が太平洋とつながる今切口西側に位置した港町。戦国期は浜名湖の渡し場、あるいは「関」として交通および水運の要所となった。

東観音寺 ひがしかんのんじ

東三河の古刹・東観音寺の門前町。 近世の宝永四年(1707)に起こった大津波による移転以前に、東三河の渥美半島南岸に位置していた。

大浜 おおはま

西三河の重要河川である境川、矢作川の両河川河口部に位置する港町。内陸水運と三河湾、伊勢海との結節点を担った。

篠島 しのじま

知多半島と渥美半島の海峡部に浮かぶ篠島の港町。篠島はその位置から伊勢・三河両国間の海上交通の要衝を占めるとともに、伊勢、尾張、三河を結ぶ伊勢海水運の拠点の一つとなった。

内海 うつみ

尾張国・知多半島南部の伊勢海沿岸に位置する港町。中世、伊勢海水運を担う尾張側の主要な廻船基地として栄えた。その位置関係から、尾張、三河と対岸の伊勢との間の流通を中継する役割を担っていたと思われる。