戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2.交易品-02.九州地方

葡萄酒(豊前) ぶどうしゅ

江戸初期、豊前小倉の細川家では葡萄酒が製造されていた。材料には山ぶどうの一種であるエビヅルが用いられたとみられる。当時、葡萄酒は薬酒として重宝されており、細川家でも葡萄酒製造を重要視していた。一方で葡萄酒はキリシタンと強く関連付けられる飲…

アヘン(豊前) あへん

初夏に実を付けるケシの未熟な果実から出る乳液を乾燥させてつくった茶褐色の粉末。鎮痛、鎮咳、催眠などの効能があった。江戸初期、豊前小倉の細川家ではアヘンの製造が行われていた。

望遠鏡(輸入) ぼうえんきょう

望遠鏡は17世紀初頭のオランダで発明された。その後まもなくヨーロッパ中に普及し、日本にもイギリス東インド会社によって持ち込まれた。江戸幕府とオランダとの貿易が本格化すると、オランダは対日の高級貿易品として望遠鏡を輸入。日本では軍事や天体観…

パン pan

日本の「パン」の語源はポルトガル語のpão、あるいはスペイン語のpanとされる。16世紀後半、日本に来航したポルトガル人あるいはスペイン人らによって、パンはその製法とともに伝わったと考えられる。

ボートル boter

乳製品の一種。いわゆるバターのこと。16世紀末にポルトガル人により日本にもたらされたとみられる。当時の日本人は乳製品を嫌っていたが、一方で薬としての需要があった。

牛肉(肥前) ぎゅうにく

16世紀、ポルトガルなどヨーロッパ人の来航により、日本では牛肉や豚肉を食べる文化が広がっていった。17世紀初頭に長崎で刊行された『日葡辞書』には、「Guiunicu(牛肉)」という単語が収録されている。「Vxino nicu(牛の肉)」と説明されており、牛…

黄飯 おうはん

豊後国や豊前国に伝来した南蛮料理。ポルトガル人宣教師らがもたらしたパエリア様の料理がもとになっていると考えられ、サフランではなく梔(くちなし)を使って米を黄色く染める。

くしいと

ポルトガル・スペインから日本に伝来した南蛮料理。魚肉や鶏肉、牛肉などとともに煮込む。長崎では鯨肉で代用したという。ポルトガル・スペインのコジートやコシードと呼ばれる煮込み料理が原型であるとみられる。

かるめいら

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。砂糖と卵白を煮つめて泡立たせ、冷まして凝固させた菓子。16世紀、ポルトガル人の宣教師らによって日本にもたらされたとみられる。

ハルテ farte

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。16世紀、ポルトガル人の宣教師らによって日本にもたらされたとみられる。当時のポルトガルでは、アーモンド入りの菓子であったらしい。日本では「はるていす」とも呼ばれた。

イルカ(対馬) いるか

中世の対馬国の海域では、イルカなどの「大物」は、島主である宗氏への上納が義務付けられていた。一方で宗氏は海士に浦々でのイルカ漁を免許。対馬では海士を主体としたイルカ漁が近世初頭まで続いたという。

焼酎(薩摩) しょうちゅう

戦国期、薩摩国には米を原料とする焼酎(焼酒・蒸留酒)が存在していた。16世紀に薩摩に滞在したポルトガル人の報告資料にみえる。薩摩国は焼酎を作っていた中国や琉球と交流があり、そこから生産技術が移入された可能性がある。

豊後筒 ぶんごづつ

豊後国で製造された鉄炮。豊後国は刀剣の生産地としても知られ、鉄炮製造のための技術的・資源的な素地に優れていた。豊後大友氏は、永禄年間には将軍足利義輝から鉄炮複製を依頼されており、豊後での鉄炮製造がよく知られていたことがうかがえる。

石火矢(豊後) いしびや

戦国期の豊後国では石火矢が製造されていた。豊後を領国とする大友氏は、貿易を通じて倭寇やイエズス会(ポルトガル)勢力から石火矢技術を得たとみられる。大友氏滅亡後、その人材と技術は徳川家をはじめ各大名家に流出した。

ガラス(博多) がらす

古代末から中世前期にかけて博多で生産されたガラス製品。博多遺跡群からはガラス製品だけでなく、生産に使われた坩堝も出土している。博多に居住した宋人が生産に関わったといわれる。

鉄丸銃筒(日本) てつがんじゅうとう

鉄製の弾丸を発射したとみられる銃筒。中国明朝の火器であったが、16世紀中頃に中国人の密貿易者によって日本にも伝えられた。日本人による製造も行われ、朝鮮王朝でも導入が図られた。

火砲(対馬) かほう

対馬の前期倭寇が用いた火砲。鋳鉄製。中国明朝から日本に移入されたものとみられる。

コーヒーカップ(肥前) Coffee cup

17世紀後半、肥前磁器(伊万里焼)のコーヒーカップが海外に輸出された。オランダは、本格的な輸出開始の初期からイエメンやペルシア、インドへとコーヒーカップとみられる小碗を運んでいる。一部はそこからオスマン帝国領内に流通していったとみられる。

伊万里焼 いまりやき

肥前有田を中心とした地域で生産された磁器。近隣の伊万里港から積出された為、消費地では「伊万里」と呼ばれた。明清交代の戦乱で中国磁器の輸出が激減すると、代わって世界市場を席巻した。

ビヤマグ(肥前) Beer mug

ビヤマグとは、ビールを飲むために作られた、円筒形で把手のついた器を指す。17世紀以前のヨーロッパでは、ビールを飲む際に陶器や金属器のビヤマグが使われていた。17世紀後半、肥前磁器によるビヤマグが日本からヨーロッパに輸出された。

チョコレートカップ(肥前) chocolate cup

17世紀後半、肥前ではオランダからの注文を受けて多くの磁器が生産され、海外に輸出された。その中にはチョコレートを飲むためのカップ、すなわちチョコレートカップがあった。

樟脳(日本) しょうのう

日本で生産された樟脳。樟(クスノキ)を加工して作られた。安価な竜脳と位置付けられ、殺虫剤や火傷の際の鎮痛剤として用いられたとみられる(『本草品梨精要』)。特産地は九州地方、特に薩摩国。17世紀以降、オランダによって海外に輸出された。

宮原銀 みやはるぎん

戦国期、肥後国宮原で発見された鉱石。発見当初は、銀鉱石と鑑定されたが、以後の史料には見えなくなる。

薩摩焼 さつまやき

薩摩国で焼かれた陶磁器。朝鮮に出兵(慶長の役)した島津軍によって捕らえられた朝鮮陶工によって製作された。江戸期は「国焼」あるいは「国許焼」「薩州焼」とも記されている。

屋久杉 やくすぎ

大隈諸島の一つ屋久島の、標高500メートルを越える山地に自生する杉。栄養の少ない花崗岩の島に生える屋久杉は成長が遅く木目が詰まっており、降雨が多く湿度が高いため、樹脂分が多く腐りにくい特徴を持つ。このため木材として優れていた。この屋久杉の伐採…

対馬砥石 つしま といし

対馬の浅芽湾で採れる砥石。漆磨きや金銀の磨きに使用された。江戸期には全国的に知られた砥石であり、中世でも日本各地の遺跡から出土している。

けさちいな

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。17世紀に成立した『南蛮料理書』にその名が見える。原型はポルトガルのチーズ菓子ケイジャーダとみられる。ケイジャーダは大まかにいうと、チーズの餡を小麦粉の生地に包んで焼いた菓子。リスボン近郊の都市シントラ…

鶏卵素麺 けいらんそうめん

ポルトガルから伝来した南蛮菓子の一つ。 卵黄をジョウロで糸状にして、熱した砂糖溶液に垂らすポルトガル菓子の「フィオシュ・デ・オヴォシュ」(ポルトガル語で「卵の糸」)が伝わったものといわれる。

カステラ かすてら

卵と小麦粉、砂糖を混ぜた生地を焼いた菓子。16世紀後半以降、来日したヨーロッパ人宣教師らによって伝えられたとみられる。

鉄炮(平戸) てっぽう

戦国期、肥前平戸において製造された鉄炮。