戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2024-01-01から1年間の記事一覧

布袋肩衝 ほてい かたつき

備前焼の肩衝茶入。天正十五年(1587)の九州陣の際に千利休が筑前箱崎で催した茶会で用いられた。高級な白地金襴の仕覆に入れられており、袋ばかりが立派ということが銘の由来とされる。

肩衝茶入「さび助」 さびすけ

備前焼の肩衝茶入。古田織部所持と伝えられており、慶長年間かそれ以前の作と推定されている。寛永十三年(1636)の茶会での使用が史料にみえ、江戸後期には茶人でもあった松平不昧が蒐集した茶道具の名物の一つとして挙げられている。

竹花入「園城寺」 おんじょうじ

一重切の竹花入。高さ33.4センチメートル、太さ10.6センチメートル。茶人千利休が羽柴秀吉の小田原遠征に従軍した際に伊豆韮山の竹で作ったとされる。表に大きな割れ目(干割れ)がある。

出羽住 直綱 いずわじゅう なおつな

石見国邑智郡出羽郷を拠点とした刀工。銘に「直綱」あるいは「石州出羽住直綱」と切る。活動時期は南北朝期から室町初期にかけてであり、初代直綱から数代続いたとされる。

笠岡住 宗貞 かさおかじゅう むねさだ

備中笠岡の刀工。備後の鞆の刀工貞次の子。15世紀後半、笠岡城主陶山宗兼の招きで笠岡に移住したとみられる。

ライムーニーヤ laymūnīya

レモン汁の煮込み料理。10世紀のエジプトではよく知られた料理であり、具材として鶏肉や羊肉などの肉類や、カボチャやホウレンソウ、ナスなどの野菜類が用いられた。また具材や調味料の組み合わせによって効能が変化すると考えられており、アイユーブ朝の…

レモン(中東)  lemon

レモンがインドから中東にもち込まれ、栽培が開始されたのは9世紀・10世紀のことであり、13世紀になると、中東全域でよく知られた果物として文献資料に記述されるようになる。特にエジプトでは10世紀以降に栽培が普及し、その医学的効能についても重…

白李 はくり

李(すもも)の塩漬け。6世紀の北魏の農書『斉民要術』にその製法がみえる。当時は酒の席で蜂蜜をかけて食べられることもあったらしい。中国明朝の李時珍も『本草綱目』の中で白李を「有益」としている。

梅の蜜漬 うめのみつづけ

蜂蜜で漬けた梅。3世紀の三国時代の呉国の宮廷にはすでに蜜漬梅が貯蔵されていたことが史料にみえる。6世紀の『斉民要術』にその製法が記されている。当時は蜜漬けが果実の一般的な加工方法だったらしい。16世紀の『本草綱目』にも梅の保存方法として糖…

中村 元明 なかむら もとあき

毛利家臣。官途名は宮内少輔。毛利氏の重臣の一人であり、大永三年(1523)七月二十六日、毛利元就の家督相続を要請する連署状に名を連ねた。由緒書によれば、中村氏は安芸武田氏に属する土師(安芸高田市八千代町土師)の領主だったが、元明は兄繁勝を…

大山住 宗重 おおやまじゅう むねしげ

安芸国大山を拠点とした刀工。大山鍛冶は筑前の左文字派出身の守安を初代とする。宗重は15世紀中頃の応永・康正年間から16世紀末の文禄年間まで活動が確認されており、同名の人物が3〜4代続いたと考えられている。

羊(日本) ひつじ

日本には古くから羊が持ち込まれていたが、家畜として利用されることは少なかった。江戸期では、公家など一部の日本人が飼育していたほか、長崎出島のオランダ商館で放し飼いにされていたことが記録にみえる。特に長崎では、来航する中国人やオランダ人によ…

羊羹 ようかん

小豆と小麦粉または葛粉と混ぜたものを蒸して作られたお菓子。いわゆる蒸し羊羹に近いものだったといわれる。室町期ごろから、点心の一つとしてみえ、御成・饗応の席などでしばしばお菓子として用いられた。

山羊(肥前) やぎ

16世紀末の日本ではヤギは、野牛(ヤギウ)と呼ばれていた。来航するヨーロッパ人の需要に応じて、肥前の平戸や長崎では販売が行われるようになったとみられる。江戸期、長崎周辺ではヤギが飼育され市販されており、長崎の住人にもヤギ料理が普及していた。

豚肉(肥前) ぶたにく

日本では猪と豚を明確に区別しておらず、豚を食べることも少なかったという。そんな中、16世紀にポルトガルなどヨーロッパ人が来航したことを契機に、平戸や長崎では豚肉を食べる文化が普及。江戸時代においても、長崎ではオランダや中国の影響を受けて豚…

燕巣 えんず

アナツバメ(海燕)の巣。アナツバメの分泌物で作られている。ベトナム中部沖のチャム諸島(クーラオチャム)などの海島で採取された。高級食材として知られ、少なくとも江戸初期までには日本にも輸入されていた。

周防鯖 すおうさば

周防国で漁獲された鯖。平安期には周防国からの貢納品に指定されており、中世には「周防鯖」として全国の特産品の一つに挙げられている。その背腸で作られる塩辛も、長門・周防両国の産物として知られた。

ニツハ酒 につはしゅ

南蛮から渡来した酒の一種。文禄五年(1596)七月、藤原惺窩が大隅国波見で中国人商人から振舞われている。江戸期の本草書には、焼酒を二次的蒸留した酒であると紹介されている。暹羅酒(シャム王国の酒)のことを指す名称ともされる。

福光 兼修 ふくみつ かねなが

邇摩郡福光郷の国人領主福光氏の一族。官途名は将監。永正十四年(1517)七月二十三日、京都の中御門宣胤のもとを訪れ、石見への下国を告げている。

福光 久兼 ふくみつ ひさかね

邇摩郡福光郷の国人である福光氏の一族。官途名は民部丞。天文末年頃、山吹城での軍役や長門国での社役がおぼつかない窮状に陥る。石見吉川氏の合力で公役を果たし、その「御礼」として領地を譲っている。

福光湊 ふくみつみなと

石見国邇摩郡の福光川河口の港町。現在の大田市温泉津町福光字湊。邇摩郡福光郷の内にあり、同時代史料には「湊」としてみえる。16世紀後半、石見国人である周布氏や石見吉川氏が進出した。

松浦 正重 まつら まさしげ

石見国温泉郷を本拠とした国人温泉氏の被官。官途名は源左衛門尉。出雲尼子氏からも「海陸諸役」の免除特権を与えられ、海上活動を通じて主家に馳走した。鉄炮や鉛、火薬も保有しており、軍事面でも活躍している。

弁才船 べざいせん

江戸期の日本で使われた中型の廻船。船首が太い一本水押(みよし)であり、他の廻船と比べて凌波性に優れたといわれる。17世紀後半から帆走船化等がはかられた結果、少ない水主で運用できるようになった。18世紀には大型化し、江戸期日本の海運における…

関船 せきぶね

日本で用いられた中型の軍用船。元は海賊船を意味する名称であったともされる。機動力に優れ、海関(多くは海賊の拠点)周辺において航行する他の船舶から通行料を徴収するのに適していた。江戸期、幕府が大型軍船の所有を禁止したため、諸大名の代表的な軍…

安宅船 あたけぶね

戦国期日本における最大級の戦艦。小型で500石、大型では2000石にも及ぶ積載量をもち、盾板(装甲用の硬く厚い板)で装甲し、甲板上には2層ないし4層の楼閣(矢倉)を備えていたといわれる。その巨大な積載量を生かして鉄炮や大筒(石火矢)などの…

ハガセ船 はがせぶね

六枚櫂の中型船。近世の史料には「羽賀瀬」「羽風」「波働」「羽海艘」「羽翰」などと書かれ、ハガセ、ハカゼ、ハガイソウ、ハガイなどと呼ばれていたと推定されている。船底は平らで堅牢であったが、ムシロ帆による帆走の性能は低かった。主として櫂走であ…

興悦筆「溌墨山水図」 はつぼくさんすいず

戦国期の関東で活躍した絵師の興悦が溌墨技法で描いた山水図。幻庵(伊勢宗瑞の子の幻庵宗哲)が賛文を附している。現在は東京国立博物館の所蔵。

雪舟等楊筆「山寺図」 やまでらず

雪舟等楊が美濃国伊自良の楊岐庵を描いたとされる山水図。雪舟は文明十三年(1481)秋に美濃国の正法寺を訪れており、同寺の春蘭寿崇に招かれて楊岐庵にも赴いたとみられる。

俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」 ふうじんらいじんずびょうぶ

江戸初期の絵師俵屋宗達が描いたとみられる総金地の二曲屏風。左右一組(二曲一双)の構成。向かって右の屏風に白い風袋を抱えた緑色の風神が、左の屏風には連鼓を背負った白色の雷神が描かれている。現在は建仁寺所蔵。

景初三年銘三角縁神獣鏡 けいしょさんねんめい さんかくぶちしんじゅうきょう

神原神社古墳(島根県雲南市加茂町神原)の木棺から出土した銅鏡。中国古代の神仙説話に登場する西王母や東王公などの神仙と、神仙界を守護する霊獣とを表現した神獣鏡であり、中国の魏の「景初三年」(239年)の紀年銘を持っている。