戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-09.東アジア

無人島(小笠原島) ぶにんじま

現在の東京都区部から南南東約1000キロメートルの太平洋上にある島嶼。江戸期の17世紀後半、漂流船の帰還を契機として日本で存在が知られるようになった。延宝三年(1675)、幕府は大型の「唐船造之御船」を派遣して調査を行い、調査隊により様々…

南澳 らまう

潮州府の東南に面した外海に浮かぶ南澳島の港町。16世紀、日本との密貿易の拠点となった。明代には所謂「潮州の海寇、多く南澳より入り」と言われ(『南澳程郷議』)、海寇の拠点でもあった。

浯嶼 ごしょ

中国福建・漳州湾南東部の小島の港町。ポルトガル人らが集まる密貿易拠点であったが、後に現地の海寇が引き入れた倭寇の前進基地ともなった。

双嶼 そうしょ

浙江省寧波府の近海、舟山列島の六横島東岸の港町。同島は南シナ海から福建・広東沿岸を北上し、あるいは日本から東シナ海を渡って、寧波方面に向かう船舶が経由する水道上に位置する。中国有数の密貿易港として知られ、ヨーロッパの史料には「リャンポー(L…

海滄 かいそう

中国福建・厦門湾北岸の港町。対岸の月港とならぶ密貿易港として知られた。

浪白澳 らんぱかう

広州湾沖にあった浪白澳島の港町。上川(サンシャン)とともにポルトガル人の交易の拠点となった。浪白澳(ランパカウ)の地名は、1537年(天文六年)成立のガスパル・ヴィエガスの地図に「ラブパ(Labupa)」もしくは「ラブプス(Labups)」としてみえ…

上川 さんしぁん

広州湾沖の西南に浮かぶ上川島の港町。浙江や漳州での通商に失敗したポルトガル人が、新たな交易拠点とした。ポルトガル人の日本渡航の際の中継港でもあった。

浦添 うらそえ

琉球中山王国の王都。沖縄本島の南部、現在の沖縄県浦添市に位置する浦添グスクとその城下からなる。その語源は「うらおそい(浦襲)」で、浦々を支配する所の意という。

富山浦 ぷさん

対馬対岸の朝鮮半島南部に位置する港町。中世、三浦の一つとして日本の朝鮮貿易の窓口となった。 太宗七年(1407)以前、朝鮮政府が興利倭船(日本の交易船)の到泊港を富山浦と薺浦に限定したことで倭人の居留が始まる。

今帰仁 なきじん

山原(ヤンバル)とよばれた沖縄本島北部を中心に、奄美諸島あたりまでを支配した山北国の中心地。山北滅亡後も中山国(琉球王国)から派遣される北山監守が、今帰仁城に駐屯した。沖縄本島北部、本部半島北岸部に位置する。

那覇 なは

沖縄本島南部、国場川河口が形成する潟を天然の良港とする港町。海洋貿易国家・琉球王国の外港として、東シナ海の一大中継港を担って栄えた。

首里 しゅり

沖縄本島を中心に栄えた琉球王国の王都。15世紀初頭に琉球中山国の察渡王統を滅ぼした尚巴志によって、浦添から遷都された。尚氏王朝が沖縄本島を統一するにおよび、王国全体を統治する政治・宗教の中心となった。