戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

コーヒーカップ(肥前) Coffee cup

17世紀後半、肥前磁器(伊万里焼)のコーヒーカップが海外に輸出された。オランダは、本格的な輸出開始の初期からイエメンやペルシア、インドへとコーヒーカップとみられる小碗を運んでいる。一部はそこからオスマン帝国領内に流通していったとみられる。

伊万里焼 いまりやき

肥前有田を中心とした地域で生産された磁器。近隣の伊万里港から積出された為、消費地では「伊万里」と呼ばれた。明清交代の戦乱で中国磁器の輸出が激減すると、代わって世界市場を席巻した。

桂 保和 かつら やすかず

安芸国高屋の国人・平賀氏の家臣。官途名は縫殿允、後に美作守。毛利氏庶子家・桂広澄の四男で、桂元澄の弟。父の自害後、毛利氏を離れて平賀氏に仕えた。一方で毛利氏との関係も維持していた。

忽那 通紀 くつな みちのり

伊予河野氏被官。忽那島を本拠とする忽那氏惣領。次郎左衛門尉。鎌倉末期に活動した忽那重清の曾孫にあたる。

大谷 織部丞 おおたに おりべのじょう

石見国益田の国人・益田氏の家臣。益田氏の海上輸送を担った人物で、毛利氏から海関での通行料免除を認められている。

高津 たかつ

石見国西部、高津川河口部の港町。13世紀前半には高津郷における津湊の存在が確認できる。高津川・益田川流域の物資集散地として栄えたとみられる。

見島 みしま

萩沖、約90キロメートルの日本海に浮かぶ見島の港町。山陰と対馬・朝鮮半島を結ぶ中継点にあった。見島はその地理的条件から、奈良・平安期においては朝鮮半島をにらんだ防衛拠点であった。中世には、大陸との交流の拠点となった可能性も指摘されている。

祝 甲斐守 ほうり かいのかみ

備後国人・江田氏の被官。備後国三谿郡高杉の知波夜比古神社の祝職(神職)であり、同社を内包する高杉城の城主でもあった。

廻神 元正 めぐりがみ もとまさ

毛利氏被官。藤十郎。父は廻神就吉、母はおせん。幼少より元就・隆元父子の近くに仕えたが、永禄五年(1562)四月、石見国松山城(江津市)攻めの際に討死した。

村上 吉繁 むらかみ よししげ

伊予河野氏被官。官途名は紀兵衛尉。父は村上吉堅。兄に吉任、吉智、姉妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる(「大濱八幡神社文書」)。河野氏被官として今岡氏とともに忽那諸島の支配に関わっていた。

村上 吉智 むらかみ よしとし

伊予河野氏被官・村上吉堅の次男。官途名は修理亮。妻は難波越後守三番目女子。兄弟に吉任、吉繁、姉妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる。大永四年(1524)八月、大濱八幡宮造営の大願主となった(「大濱八幡神社文書」…

村上 吉任 むらかみ よしとう

伊予河野氏被官・村上吉堅の嫡子。仮名は三郎。官途名は左京進。母は細川被官・児玉弥次郎の嫡女。弟に吉智、吉繁、妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる(「大濱八幡神社文書」)。