戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物-02.中国地方

泉 大官 せん たいかん

毛利氏に仕えた医師。朝鮮半島出身と推定される。出雲国に渡来して毛利元就に仕えたという。

柳井 郷直 やない さとなお

大内家臣。官途名は蔵人。天文十六年(1547)に大内氏が派遣した遣明使節の一員。この時の記録『大明譜』の作成として知られる。

小幡 興行 おばた おきゆき

安芸国佐西郡石道(広島市佐伯区石内)を本拠とする国人。官途名は民部少輔。実名の「興」は、大内義興の偏諱とみられる。大永三年(1523)、安芸武田氏によって自害に追い込まれた。

能美 左馬允 のうみ さまのじょう

安芸国能美島の土豪。防芸引分では、毛利氏に協力して能美島の調略を行った。後に能美島を支配した来島村上氏に仕えたか。行動の詳細は不明ながら、来島村上氏が毛利氏から離反した際、関係者の話題にあがっている。

能美 右近助 のうみ うこんのすけ

大内氏被官。万菊丸の父。仲次の子か。実名の「房」は大内氏重臣・陶興房または陶隆房からの偏諱とみられる。後に世次と改名した。

土倉 冬平 はくら ふゆひら

大崎西庄(大崎上島町のうち木江・沖浦・明石)の地頭。応永三十五年(1428)四月、御串山八幡宮(大崎上島町明石)の社殿造立に関わった。安芸国人・沼田小早川氏の諸氏家である土倉氏の当主か。

高橋 興光 たかはし おきみつ

石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の当主。仮名は大九郎。高橋弘厚の子。江戸中期に作成された「安芸国高田郡図」では、高田郡横田村の松尾城(広島県安芸高田市美土里町横田)について城主高橋大九郎としている。

高橋 弘厚 たかはし ひろあつ

石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の一族。興光の父。官途名は治部少輔、後に伊予守。当主・高橋元光との関係は不明。名に「光」の字が無いことから、惣領家の出身ではなかったと考えられている。なお「弘」は、大内政弘からの偏諱とみ…

生田 秀光 いけだ ひでみつ

石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人・高橋氏の家臣。家中の有力者の一人。官途名は右馬助。

口羽 光慶 くちば みつよし

石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の家臣。家中の有力者の一人。官途名は下野守。

後藤 宗福 ごとう そうふく

戦国期、周防山口を拠点に活動した金工(金属に細工をする美術工芸)の職人。

あきの五もし あきのごもし

毛利家臣・内藤元種の息女。毛利輝元の養女となり、羽柴秀吉の養子・秀勝に嫁いだ。秀勝の死後、毛利家臣・宍戸元続に再嫁した。

安富 夜叉 やすとみ やしゃ

周防大内氏家臣・安富興宗の息女。妹にとら靏。興宗に男子がいなかった為、跡を譲られた。

村上 備中入道 むらかみ びっちゅうにゅうどう

因島村上氏の当主。吉資の父か。因島村上氏として史料上に初めてみえる人物。備後守護・山名氏より田島地頭職を得る一方で、「海賊」としても知られた。

宮地 資弘 みやち すけひろ

因島村上氏の家臣。大炊助。明光の子。15世紀中頃、金蓮寺などの因島の造営事業や水運などに関わった。

村上 尚吉 むらかみ なおよし

因島村上氏の当主。官途名は新蔵人、後に加賀守。先代当主・吉直の子。吉充、亮康の父。

村上 吉直 むらかみ よしなお

因島村上氏の当主。備中守。吉充の子。尚吉の父。

村上 吉充 むらかみ よしみつ

因島村上氏の当主。官途名は新蔵人。先代当主・吉資の子。吉直の父。

村上 吉資 むらかみ よしすけ

因島村上氏の当主。官途名は備中守。吉充の父。村上備中入道の子か。因島の地頭職を獲得するなど同氏の基盤を固めた。

生口 景守 いくち かげもり

生口氏の当主。仮名は孫三郎。官途名は刑部丞。毛利氏、小早川氏の警固衆の将として、大友氏や織田氏との戦いで活躍した。また生口島において寺社の造営に関わったと伝えられている。

生口 隆平 いくち たかひら

生口氏の当主。生口島向上寺の梵鐘銘にその名がみえる。

生口 元清 いくち もときよ

小早川生口氏の当主。小早川煕平の子。小早川敬平、乃美是景の弟。将軍・足利義植の近江遠征に従軍した。

生口 守平 いくち もりひら

小早川生口氏の当主。官途名は刑部丞あるいは刑部少輔。公実の庶子。向上寺三重塔の建立に関わった。

生口 公実 いくち きみざね

小早川生口氏の当主。因幡守。法名は道貫。惟平の子。守平の父。

生口 惟平 いくち これひら

小早川氏の庶子家・小早川生口氏の初代。幼名は道祖鶴丸。官途名は弾正左衛門尉。惣領家である沼田小早川氏当主・小早川宣平の子。公実の父。

関之大将 ウカ島 せきのたいしょう うかしま

宇賀島を根拠地とした宇賀島衆の頭領か。京都・東福寺の梅霖守龍が記した「梅林守龍周防下向日記」にみえる。

神保 信胤 じんぼ のぶたね

大内氏被官。新右衛門尉。長胤の子。永正六年(1509)八月、竹原小早川氏の所領と接する黒瀬村助実女子畑などの知行について大内義興から証判を得ている。

檜垣 新太郎 ひがき しんたろう

竹原小早川家臣。天文年間に警固衆の一員として活躍した。

光清 左近将監 みつきよ さこんしょうげん

竹原小早川家臣。京都での上番を担当した一人。

木谷 景忠 きだに かげただ

小早川家臣。仮名は孫四郎。竹原小早川氏の庶家・木谷氏の出身で、 隆景に仕えた。