3.人物-04.近畿地方
鎌倉後期から南北朝初期の山城国の来派刀工。仮名は孫太郎。来国行の子とされ、生年は延応二年(1240)頃に比定される。長命であり、少なくとも81歳頃まで作刀を続けていることが確認できる。
室町期の画家。雪舟等楊の弟子。丹波国の出身で、子に季英周孫という画僧がいた。
織田信長の次男・信雄の娘。母は北畠具教の娘。同母兄に秀雄がいる。羽柴秀吉の養女となり、「小姫君」と呼ばれた。法華寺本『織田系図』では「おかに」、『寛永諸家系図』は「某 加爾」と記載されている。
安芸武田氏最後の当主。官途名は刑部少輔、後に刑部大輔。若狭武田氏の当主・武田元光の子。信豊の弟。安芸武田氏滅亡後は将軍足利義昭に仕えた。
幕府奉公衆・大内氏の一族。官途名は修理亮、後に周防守。
幕府奉公衆・大内氏の一族。仮名は助四郎。官途名は下野守。冷泉興豊の父か。
幕府奉公衆・大内氏の一族。仮名は四郎。足利義尚の近江親征に従軍した。
国友村出身の鉄炮鍛冶。織田信長や羽柴秀勝に仕えた。
南蛮流炮術の開祖となった炮術師。一二斎と号した。河内守とも。
和泉堺の納屋家出身の茶人。屋号は薩摩屋。千利休の高弟として知られる。千利休とともに羽柴秀吉から厚遇されたが、追放処分を受けて小田原北条氏のもとに身を寄せる。後に北条氏を攻めた秀吉に投降するも処刑された。
16世紀後半頃の堺の豪商。「嶋井氏年録」の元亀元年(1570)九月二日の史料にその名がみえる。
和泉堺の商人。天文二十一年(1552)頃の九月、宗光ら堺商人衆の使者として厳島に赴き、宗光の書状を大願寺に届けた。
堺の貿易商人。鋳物師。種子島より鉄砲の技術を堺に持ち帰ったといわれる。
紀伊国西部の紀之湊(雑賀荘湊地域)の廻船商人。関東との交易を行った。
和泉堺の町衆。「薩摩屋」という屋号から、同じ屋号を持つ茶人・山上宗二の一族である可能性がある。