戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

赤根屋 太郎右衛門 あかねや たろうえもん

 16世紀後半頃の堺の豪商。「嶋井氏年録」の元亀元年(1570)九月二日の史料にその名がみえる(「嶋井文書」)。

大和方面での商売

  元亀元年(1570)九月、博多の豪商・嶋井宗室は、「泉州堺」の「アカネ屋太郎右衛門方」へ自身の商用船「永寿丸」で荷物を送り、大和国郡山の和泉屋慶助に近国の武士への販売を委託している。

 和泉屋慶助は、大和郡山において和泉(泉州)との商取引を専門に行う問丸とみられる。太郎右衛門は和泉屋を通じて、日常的に大和方面と商いを行っていたのだろう。

 嶋井宗室は博多唐織や練酒など博多特産の商品も扱う一方で、緞子や木綿、高麗茶碗といった中国、朝鮮の荷も多く扱っていた。太郎右衛門もまた、これら海外の商品を九州方面から堺に輸入して販売する商人ではないかと思われる。

堺宿屋町の「赤根屋」

  天正十五年(1587)頃に成立したとみられる『山上宗ニ記』によると、堺宿屋町の赤根屋宗佐は、いわゆる名物として中国北宋の画家・趙昌による掛絵「花の絵」と花入「釣舟」を所有していた。

 特に「釣舟」については、「釣舟道陳、昔所持。六百貫ニ宿屋町赤根屋へ行。未彼所ニアリ。」とある。赤根屋が堺の豪商の一人であったことが分かる。

参考文献

  • 鹿毛敏夫 「戦国期豪商の存在形態と大友氏」 (『戦国大名の外交と都市・流通―豊後大友氏と東アジア世界―』 思文閣出版 2006 )