戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

アヘン(豊前) あへん

初夏に実を付けるケシの未熟な果実から出る乳液を乾燥させてつくった茶褐色の粉末。鎮痛、鎮咳、催眠などの効能があった。江戸初期、豊前小倉の細川家ではアヘンの製造が行われていた。

パールーダ Paluda

ペルシャ(イラン)発祥の菓子。アラビア語に入りファールーザジュと呼ばれた。でんぷんや豆粉に蜜や砂糖を加えに詰めたもの。冷まして大皿に盛り酥脂(バター類)をかけて食べられた。中国にも伝播し「八耳搭」と呼ばれた。

ハリーサ Harisa

肉と小麦粒を煮込んだ粥。中世のイスラーム世界において宮廷の宴会料理として料理書にみえる。またスーク(市場)でも常設店での出来合い料理として提供されており、都市民のごちそうとして親しまれた。元朝時代の中国にも伝播している。

クスクス Kuskus

マグリブ地域で作られた粒状のパスタ。マグリブにはクスクス以外にもいくつかの種類のパスタがあったが、クスクスが最もよく食べられたパスタであったと推定されている。13世紀には東方のマシュリク地域にも伝播した。

イトリヤ Itriya

細長いパスタ。地域や形状によっては、リシュタとも呼ばれた。10世紀から16世紀にわたってマシュリク、マグリブの文献に記載がある。12世紀にはシチリア島産のイトリヤがイタリア半島や中東各地に輸出されており、菓子や煮込み料理に使用された。

トゥトゥマージュ Tutumaj

四角形や円形に切った餃子の皮のような小麦麺。あるいはそれを用いた料理を指す。元代の中国では「禿禿麻食」あるいは「禿禿麻失」と表記された。茹でたトゥトゥマージュに、ニンニクとミント入りヨーグルトをかけた料理などが知られる。

伝土佐光信筆「四季竹図屏風」 しきちくずびょうぶ

メトロポリタン美術館に所蔵される中世大和絵屏風。竹をテーマとし、ナズナや筍、雪などの景物を配して四季を表現している。制作年代は15世紀後半から16世紀前半とみられ、土佐派の絵師、特に土佐光信によって制作されたと推定されている。

メトロポリタン美術館蔵「保元平治合戦図屏風」 ほうげんへいじかっせんずびょうぶ

メトロポリタン美術館に所蔵される金地の六曲一双屏風。右隻に『保元物語』、左隻に『平治物語』の内容を描きこむもので、「合戦図屏風の最優作」とも評価される。作者は不明。制作年代については慶長五年(1600)から慶長十五年(1615)とされるが…

新羅三郎の鎧 しんらさぶろうのよろい

甲斐源氏武田氏の祖である源義光(新羅三郎)から伝来したとされる鎧。安芸武田氏の重物。安芸武田氏滅亡後に大内氏の手に渡り、大内義隆によって厳島神社に寄進された。

太刀「稲光」 いなびかり

安芸国の有力国人・毛利弘元が厳島神社に奉納した太刀。備前長船の刀工・国真の作。刀長106.6センチメートル。文献では野太刀と称される大太刀に該当する。

太刀「来太郎」 らいたろう

小早川隆景が厳島神社に寄進した太刀。「劔来太郎源国俊」の銘をもつ。刃長は74.6センチメートル。

来 国俊 らい くにとし

鎌倉後期から南北朝初期の山城国の来派刀工。仮名は孫太郎。来国行の子とされ、生年は延応二年(1240)頃に比定される。長命であり、少なくとも81歳頃まで作刀を続けていることが確認できる。

サント・ドミンゴ Santo Domingo

イスパニョーラ島の南岸、オサマ川河口部に形成された植民都市。クリストバル・コロン(コロンブス)の次弟バルトレメオ・コロンが建設した拠点ヌエヴァ・イザベラの壊滅後、新総督ニコラス・デ・オヴァンドによって都市建設が開始された。

ミシュコ・ビエホ Mixco Viejo

後古典期後期(1200年~16世紀)におけるカクチケル・マヤ人の要塞都市。現在のグアテマラ共和国チマルテナンゴ県北東端のミシュコ・ビエホ遺跡がその跡地。カクチケル・マヤ語の遺跡名は「チュワ・ニマ・アバフ」であり、「大きな石の前」を意味する。