戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物-東アジア

劉 綎 りゅう てい

中国明朝の武将。劉顯の子。江西南昌の人。苗族をはじめとする諸民族から構成される家丁(私兵)を率い、後には朝鮮で捕虜となった日本兵も自軍に加え、南西中国の反乱鎮圧などで活躍した。怪力の持ち主で、重量のある刀の操作が巧みであることから「劉大刀…

陳 寅 ちん いん

中国明朝の武将。字は賓陽。浙江温州府金郷衛の出身(申欽『象村集』巻57)。倭寇討伐で頭角を現し、朝鮮での日本軍との戦い、四川での反乱鎮圧などに功を挙げた。火器運用のエキスパートとしても知られた。

トリスタン・デ・ガ Tristão de Gá

中国浙江沖の双嶼を拠点としたポルトガル人海商。16世紀初頭、ポルトガルのインド副王に従い、インドで活動していた。後に双嶼に拠点を移し、中国や東南アジア海域での貿易に従事して財をなした。

ランサロッテ・ペレイラ Lançarote Pereira

中国浙江沖の双嶼を拠点としたポルトガル人海商。フルネームはランサロッテ・ペレイラ・デ・アブリュウ。中国文献では「浪沙囉的嗶咧」としてみえる。双嶼のポルトガル人有力者の一人であり、明軍による双嶼攻撃の要因を作ったとされる。

袁 璡 えん しん

中国明朝の辺将。寧波衛指揮使。1523年(大永三年)五月の寧波事件において、大内氏の遣明使節の捕虜となり、日本に連れ去られた。事件後、袁璡の本国送還が日明間の交渉における懸案事項の一つとなる。

朱 縞 しゅ こう

中国明朝の寧波府鄞県を出身とする明人。字は素卿。宋素卿とも名乗った。若くして日本に渡り、細川高国の派遣する遣明使節に関わった。後に寧波事件の中心人物となり、明朝当局に収監された。

陳 仏奴 ちん ぶつど

中国明朝の浙江出身の人物。対馬の時羅が浙江を襲撃した際に夫の符旭とともに掠われ、時羅の妻とされたという。時羅が朝鮮を訪れた際に、同国の官人に救出され、明朝に送還された。

陳 瑞 ちん ずい

中国徽州出身の海商・方三橋の貿易船の乗員。1548年(天文十七年)五月、日本から明国に戻った際、明軍に捕縛された。船には中国人とともに20名の日本人が乗っており、ヨーロッパ人から奪った仏郎機砲などの火器も搭載されていた。

李 章 り しょう

中国福建・泉州府同安県出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かう途中、朝鮮に漂着した密貿易船の「頭人」の一人。李章らの密貿易船は、100人以上が乗船する大型ジャンク船であり、乗員の多くが福建の海商たちであったとみられる。

李 王乞 り おうきつ

中国福建の漳州出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かったが、朝鮮に漂着して捕縛され、明朝に送還された。朝鮮政府にとっては、日本・福建間の密貿易活発化を認識する契機となった。

楊 三 ようさん

広東虎門出身の中国人。クリスチャンで、洗礼名はペドロ。東南アジアに密航した後、ポルトガル船の船員として広州に来航した。火薬や大砲の製法に通じ、明朝の仏郎機砲導入に大きな役割を果たした。

ムハンマド・シャー Muhanmad Shah

中国南宋の港湾都市・泉州にて1272年(文永九年)に没した人物。ホラズム出身の王族であったとされる。

楊兀魯帯 ようろたい

元朝(大元ウルス)の将軍。1285年(弘安八年)とその翌年、骨嵬(クイ)を討つ為、大軍を率いてサハリンに侵攻した。動員された兵数は1万人で、これとは別に、兵站確保のために旧南宋軍による屯田も行われた。

瓦英 うぁいん

13世紀末のアイヌの首領の一人。サハリンから海を越え、元朝(大元ウルス)の勢力圏に侵入した。

蔡 福 さい ふく

中国泉州の商人。赤間関で毛利氏との貿易を行った。

山査 さんさ

16世紀末、朝鮮の役で明朝に降った日本兵の一人。剣術に通じ、明朝の京営(京師在駐の禁軍組織)で剣術の教師となった。