戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

蔡 福 さい ふく

 中国泉州の商人。赤間関で毛利氏との貿易を行った。

赤間関での貿易

 1584年(天正十二年・万暦十二年)十月、蔡福は日本の赤間関に来航し、商売を行った。その際に、同関の代官・高須元兼と次の商売についても約束を交わした。すなわち、翌年六月に明朝の泉州府の商船が2隻、赤間関に来航するので、その際は旗印を照合して商売を行うというものだった。

 高洲家蔵には、この時の船旗(日明貿易船旗)が残されている。大きさは、 縦167cm×横95cm。 材質は麻で、 縦長の麻布2枚を左右に継いで大型に仕立ててある。また上部には高須氏の家紋(剣巴紋)が大きく描かれている。下部には、上記の約定が墨書されており、船主の蔡福と、証人の王禄、立会人の李進の署名がある。

 赤間関代官・高須元兼も、蔡福らに宛てて、この約定を記した書状を発給している。書状では、翌年に泉州の商船が来航した際に、この船旗を持って迎えに来た者が約束相手であるとしている。また元兼の貿易への関与は、「主君」(毛利輝元)の意向をふまえたものであることも明記されている。

日本への輸出品

 蔡福らが扱った商品は明らかではない。しかし、蔡福と交渉した高須元兼は、毛利輝元から外国産品である「塩硝」、「しらか」(白い絹糸)、唐糸、緞子、「せんむしろ」(氈の敷物の一種)、「あしまき」などの調達を指示されている(「閥閲録 巻67」「「新出高洲家文書」。蔡福ら明商人が来航した際、これらを購入していたと考えられる。

参考文献

  • 岸田裕之「大名領国下における赤間関支配と問丸役佐甲氏」(『大名領国の経済構造』 岩波書店 2001)

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火の山から見た赤間関(下関)と関門海峡