戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

岩見 源之丞 いわみ げんのじょう

安芸国岩山城の城主であったと伝わる人物。大内氏被官か。弟に三之丞がいたという。天文二十年(1551)ないし天文二十一年(1552)に、毛利氏に攻められ討死したとされる。

ビヤマグ(肥前) Beer mug

ビヤマグとは、ビールを飲むために作られた、円筒形で把手のついた器を指す。17世紀以前のヨーロッパでは、ビールを飲む際に陶器や金属器のビヤマグが使われていた。17世紀後半、肥前磁器によるビヤマグが日本からヨーロッパに輸出された。

チョコレートカップ(肥前) chocolate cup

17世紀後半、肥前ではオランダからの注文を受けて多くの磁器が生産され、海外に輸出された。その中にはチョコレートを飲むためのカップ、すなわちチョコレートカップがあった。

ムハンマド・シャー Muhanmad Shah

中国南宋の港湾都市・泉州にて1272年(文永九年)に没した人物。ホラズム出身の王族であったとされる。

鯨(長門) くじら

長門国の日本海沿岸には鯨の漂着が時々あり、寄鯨と呼ばれた。中世には、食用だけでなく鯨油も使用された。貴重な資源であり、権利をめぐって地域間の争論も発生した。

鯔(周防) ぼら

ボラ目・ボラ科に分類される魚の一種。中世、周防の特産品であり、船で畿内にも運ばれた。

泉 大官 せん たいかん

毛利氏に仕えた医師。朝鮮半島出身と推定される。出雲国に渡来して毛利元就に仕えたという。

杉 重忠 すぎ しげただ

大内家臣。仮名は新四郎。官途名は大蔵丞。父は杉長忠か。筑前国那珂西郷を知行した。

杉 長忠 すぎ ながただ

大内家臣。仮名は四郎三郎。官途名は大蔵丞。重忠、隆宗の父か。大内氏から筥崎宮領那珂西郷の知行を与えられた。筑前国内での社領をめぐる裁判に関わったことが、史料上で確認できる。

杉 隆宗 すぎ たかむね

大内家臣。官途名は大蔵丞。父は杉長忠か。博多近辺に知行を持ち、大内氏の筥崎宮への関与を担った。天文十六年度遣明船の副土官として中国に渡った。