戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物

陳 瑞 ちん ずい

中国徽州出身の海商・方三橋の貿易船の乗員。1548年(天文十七年)五月、日本から明国に戻った際、明軍に捕縛された。船には中国人とともに20名の日本人が乗っており、ヨーロッパ人から奪った仏郎機砲などの火器も搭載されていた。

池端 重尚 いけばた しげひさ

大隈国祢寝院の領主・池端清本の嫡孫。弥次郎。父は清住。「唐人」と「南蛮人」の合戦に巻き込まれて不慮の死を遂げた。

稽天 けいてん

薩摩国薩摩郡東郷(現在の鹿児島県薩摩川内市東郷町)出身の日本人海商。東郷の国人領主・東郷氏の被官か。1548年(天文十七年)三月に貿易のために双嶼に向かうも、明軍に拿捕された。彼の供述により、日本人が中国での密貿易に関わる経緯の一端が明ら…

李 章 り しょう

中国福建・泉州府同安県出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かう途中、朝鮮に漂着した密貿易船の「頭人」の一人。李章らの密貿易船は、100人以上が乗船する大型ジャンク船であり、乗員の多くが福建の海商たちであったとみられる。

李 王乞 り おうきつ

中国福建の漳州出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かったが、朝鮮に漂着して捕縛され、明朝に送還された。朝鮮政府にとっては、日本・福建間の密貿易活発化を認識する契機となった。

楊 三 ようさん

広東虎門出身の中国人。クリスチャンで、洗礼名はペドロ。東南アジアに密航した後、ポルトガル船の船員として広州に来航した。火薬や大砲の製法に通じ、明朝の仏郎機砲導入に大きな役割を果たした。

今倉殿 いまくら どの

備後南部、芦田川河口部の港町草戸を拠点とした金融業者。草戸千軒町遺跡から出土した15世紀後半の木簡にその名が見える。

工 十郎兵衛 たくみ じゅうろうひょうえ

安芸国安北郡深川の檜物師。毛利元就から「佐東領中檜物師」の頭領に任じられた。

長崎 房康 ながさき ふさやす

大内家臣。幼名は道祖寿丸。仮名は小太郎。官途名は兵部丞。長崎元康の子。事秀の父。自身と同じ屋代島衆の沓屋景頼に嫁いだ妹がいる。毛利氏の出雲侵攻の際、警固衆として活躍した。

長崎 房次 ながさき ふさつぐ

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は隼人佐、後に丹後守。長崎安親の子。元直、但馬守某、真定の父。娘が二人おり、沓屋景頼の子の喜三郎・元綱兄弟に嫁いだ。厳島合戦後に屋代島衆をまとめて毛利氏に仕え、防長経略や豊後大友氏との合戦で警固衆として活躍し…

長崎 元康 ながさき もとやす

大内家臣。幼名は才徳丸。仮名は弥八郎。官途名は与三右衛門、後に左近将監。長崎安親の養子。房康の父。沓屋景頼の妻となった娘がいる。大内氏の合戦で警固衆を率いて活躍したが、天文十二年(1543)、出雲遠征において討死した。

長崎 勝親 ながさき かつちか

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は勘解由左衛門尉。周防国大島郡島末庄を本拠とする長崎氏の当主。盛親の子で、重親の孫にあたる。

長崎 重親 ながさき しげちか

大内家臣。官途名は隼人佐、後に丹後守。盛親の父。周防国大島郡島末庄を本拠とした。大内盛見死後は、持世に味方してその勝利に貢献した。

梨子羽 元春 なしわ もとはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は右京亮。元位の子か。大内義興に従い、幕府から梨子羽郷地頭公文両職などを安堵された。

梨子羽 元位 なしわ もとただ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。熈景の子で、元春の父か。史料上の初見は延徳三年(1491)頃。元位が生きたと思われる応仁文明の乱から15世紀末頃までの間で、梨子羽氏をとりまく環境には大きな変化があったことが推定される。

小早川 犬女 こばやかわ いぬめ

鎌倉期の沼田本荘梨子羽郷の地頭。法名は浄蓮。小早川茂平の長女。舟木常平・小早川雅平の妹で、竹原小早川政景、赤川忠茂の姉。梨子羽郷で領家と争い、勢力を拡大した。

梨子羽 時春 なしわ ときはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は中務大輔。沼田小早川春平の三男で、則平の弟。沼田荘梨子羽郷北方を与えられ、庶子家・梨子羽氏の初代となった。

梨子羽 熈景 なしわ ひろかげ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。仮名は又四郎。時春の子で、元位の父か。宝徳三年(1451)の沼田小早川庶子家による連判契約に署名した一人。

桂 保和 かつら やすかず

安芸国高屋の国人・平賀氏の家臣。官途名は縫殿允、後に美作守。毛利氏庶子家・桂広澄の四男で、桂元澄の弟。父の自害後、毛利氏を離れて平賀氏に仕えた。一方で毛利氏との関係も維持していた。

忽那 通紀 くつな みちのり

伊予河野氏被官。忽那島を本拠とする忽那氏惣領。次郎左衛門尉。鎌倉末期に活動した忽那重清の曾孫にあたる。

大谷 織部丞 おおたに おりべのじょう

石見国益田の国人・益田氏の家臣。益田氏の海上輸送を担った人物で、毛利氏から海関での通行料免除を認められている。

祝 甲斐守 ほうり かいのかみ

備後国人・江田氏の被官。備後国三谿郡高杉の知波夜比古神社の祝職(神職)であり、同社を内包する高杉城の城主でもあった。

廻神 元正 めぐりがみ もとまさ

毛利氏被官。藤十郎。父は廻神就吉、母はおせん。幼少より元就・隆元父子の近くに仕えたが、永禄五年(1562)四月、石見国松山城(江津市)攻めの際に討死した。

村上 吉繁 むらかみ よししげ

伊予河野氏被官。官途名は紀兵衛尉。父は村上吉堅。兄に吉任、吉智、姉妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる(「大濱八幡神社文書」)。河野氏被官として今岡氏とともに忽那諸島の支配に関わっていた。

村上 吉智 むらかみ よしとし

伊予河野氏被官・村上吉堅の次男。官途名は修理亮。妻は難波越後守三番目女子。兄弟に吉任、吉繁、姉妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる。大永四年(1524)八月、大濱八幡宮造営の大願主となった(「大濱八幡神社文書」…

村上 吉任 むらかみ よしとう

伊予河野氏被官・村上吉堅の嫡子。仮名は三郎。官途名は左京進。母は細川被官・児玉弥次郎の嫡女。弟に吉智、吉繁、妹に来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母、村上大炊助室がいる(「大濱八幡神社文書」)。

村上 吉堅 むらかみ よしかた

伊予河野氏被官。官途名は左京進、後に常陸守。吉任、吉智、吉繁の父。娘が二人おり、長女は来嶋城主・村上五郎四郎(村上通康か)の母で、次女は村上大炊助に嫁いだとされる(「大濱八幡神社文書」)。中途城を拠点とする能島村上氏である可能性が指摘され…

村上 義益 むらかみ よします

能島村上氏の当主。 宮内少輔。村上義雅の嫡子。父の早世後、家督を従兄弟の村上武吉と争った。

末国 光氏 すえくに みつうじ

毛利家臣。官途名は左馬助、後に伊豆守。安芸国舟木(現在の安芸高田市高宮町船木)を知行地とする。吉田郡山城の戦いから防芸引分まで、毛利氏の主要な合戦で高名を挙げた。

岩見 源之丞 いわみ げんのじょう

安芸国岩山城の城主であったと伝わる人物。大内氏被官か。弟に三之丞がいたという。天文二十年(1551)ないし天文二十一年(1552)に、毛利氏に攻められ討死したとされる。