戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物

上原 宗安 うえはら むねやす

備後国世羅郡大田庄上原を本拠とする国人・上原氏の家臣。上原元将(元祐)の側近とみられ、織田方の羽柴秀吉との交渉を担当した。後に京極氏に仕えた。

楊井 虎女 やない とらめ

毛利家臣・楊井武盛の息女。元亀三年(1572)に父から所帯を譲られている。夫は楊井春俊、子は楊井規春か。

楊井 武盛 やない たけもり

大内家臣。幼名は万壽。仮名は彌七。官途名は右京亮、後に但馬守。楊井国久の次男だが、楊井春盛の養子となってその跡を継いだ。主家滅亡後に仕えた毛利家中では、その医術の評価が高かった。

警固屋 善兵衛 けごや ぜんのひょうえ

安芸国安南郡警固屋(現在の呉市警固屋)を本拠とした警固屋氏の一族か。弘治二年(1556)以前に周防国熊毛郡に知行を得ていた。警固屋氏は防芸引分で大内方となり、大内氏の最終局面まで従っている。

杉 甲斐守 すぎ かいのかみ

大内家臣。周防国玖珂郡日積村に知行を得た杉氏の一族か。永正・大永年間に安芸国石道本城に入り、厳島神領支配の一角を担った。天文十七年(1548)には、備後国神辺村尾城攻めの検使として弘中隆兼、小原隆言とともにみえる。

吉井 行貞 よしい ゆきさだ

大内家臣。官途名は蔵人。周防国大島郡屋代庄の土豪か。大内氏の警固衆として活動した。厳島合戦前後に急死したらしい。

高崎 六郎次郎 たかさき ろくろうじろう

沼田小早川氏の庶子家である高崎氏の当主か。応仁文明の乱では、東軍方の惣領家に従わず、西軍の周防大内氏の援軍とともに高崎城に立て篭もった。

土倉 民部少輔 とくら みんぶのしょう

沼田小早川氏の庶子家である土倉氏の当主か。官途名は民部少輔または民部大輔。15世紀中ごろから後半にかけて、沼田小早川氏の軍事行動で活躍した。

大草 持範 おおぐさ もちのり

沼田小早川氏の庶子家である大草氏の当主。官途名は駿河守。沼田新荘の大草村(現在の広島県三原市大和町大草)を所領とした。同地の堀城および高城は大草氏の城と伝わる。

フェルナン・メンデス・ピント Fernam Mendez Pinto

東南アジア・東アジアで活躍したポルトガル人海商。後にイエズス会士となる。ポルトガルへ帰国後、自身の「体験」をまとめた『東洋遍歴記』を著した。

陳 瑞 ちん ずい

中国徽州出身の海商・方三橋の貿易船の乗員。1548年(天文十七年)五月、日本から明国に戻った際、明軍に捕縛された。船には中国人とともに20名の日本人が乗っており、ヨーロッパ人から奪った仏郎機砲などの火器も搭載されていた。

池端 重尚 いけばた しげひさ

大隈国祢寝院の領主・池端清本の嫡孫。弥次郎。父は清住。「唐人」と「南蛮人」の合戦に巻き込まれて不慮の死を遂げた。

稽天 けいてん

薩摩国薩摩郡東郷(現在の鹿児島県薩摩川内市東郷町)出身の日本人海商。東郷の国人領主・東郷氏の被官か。1548年(天文十七年)三月に貿易のために双嶼に向かうも、明軍に拿捕された。彼の供述により、日本人が中国での密貿易に関わる経緯の一端が明ら…

李 章 り しょう

中国福建・泉州府同安県出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かう途中、朝鮮に漂着した密貿易船の「頭人」の一人。李章らの密貿易船は、100人以上が乗船する大型ジャンク船であり、乗員の多くが福建の海商たちであったとみられる。

李 王乞 り おうきつ

中国福建の漳州出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かったが、朝鮮に漂着して捕縛され、明朝に送還された。朝鮮政府にとっては、日本・福建間の密貿易活発化を認識する契機となった。

楊 三 ようさん

広東虎門出身の中国人。クリスチャンで、洗礼名はペドロ。東南アジアに密航した後、ポルトガル船の船員として広州に来航した。火薬や大砲の製法に通じ、明朝の仏郎機砲導入に大きな役割を果たした。

今倉殿 いまくら どの

備後南部、芦田川河口部の港町草戸を拠点とした金融業者。草戸千軒町遺跡から出土した15世紀後半の木簡にその名が見える。

工 十郎兵衛 たくみ じゅうろうひょうえ

安芸国安北郡深川の檜物師。毛利元就から「佐東領中檜物師」の頭領に任じられた。

長崎 房康 ながさき ふさやす

大内家臣。幼名は道祖寿丸。仮名は小太郎。官途名は兵部丞。長崎元康の子。事秀の父。自身と同じ屋代島衆の沓屋景頼に嫁いだ妹がいる。毛利氏の出雲侵攻の際、警固衆として活躍した。

長崎 房次 ながさき ふさつぐ

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は隼人佐、後に丹後守。長崎安親の子。元直、但馬守某、真定の父。娘が二人おり、沓屋景頼の子の喜三郎・元綱兄弟に嫁いだ。厳島合戦後に屋代島衆をまとめて毛利氏に仕え、防長経略や豊後大友氏との合戦で警固衆として活躍し…

長崎 元康 ながさき もとやす

大内家臣。幼名は才徳丸。仮名は弥八郎。官途名は与三右衛門、後に左近将監。長崎安親の養子。房康の父。沓屋景頼の妻となった娘がいる。大内氏の合戦で警固衆を率いて活躍したが、天文十二年(1543)、出雲遠征において討死した。

長崎 勝親 ながさき かつちか

大内家臣。仮名は小太郎。官途名は勘解由左衛門尉。周防国大島郡島末庄を本拠とする長崎氏の当主。盛親の子で、重親の孫にあたる。

長崎 重親 ながさき しげちか

大内家臣。官途名は隼人佐、後に丹後守。盛親の父。周防国大島郡島末庄を本拠とした。大内盛見死後は、持世に味方してその勝利に貢献した。

梨子羽 元春 なしわ もとはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は右京亮。元位の子か。大内義興に従い、幕府から梨子羽郷地頭公文両職などを安堵された。

梨子羽 元位 なしわ もとただ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。熈景の子で、元春の父か。史料上の初見は延徳三年(1491)頃。元位が生きたと思われる応仁文明の乱から15世紀末頃までの間で、梨子羽氏をとりまく環境には大きな変化があったことが推定される。

小早川 犬女 こばやかわ いぬめ

鎌倉期の沼田本荘梨子羽郷の地頭。法名は浄蓮。小早川茂平の長女。舟木常平・小早川雅平の妹で、竹原小早川政景、赤川忠茂の姉。梨子羽郷で領家と争い、勢力を拡大した。

梨子羽 時春 なしわ ときはる

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は中務大輔。沼田小早川春平の三男で、則平の弟。沼田荘梨子羽郷北方を与えられ、庶子家・梨子羽氏の初代となった。

梨子羽 熈景 なしわ ひろかげ

沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。仮名は又四郎。時春の子で、元位の父か。宝徳三年(1451)の沼田小早川庶子家による連判契約に署名した一人。

桂 保和 かつら やすかず

安芸国高屋の国人・平賀氏の家臣。官途名は縫殿允、後に美作守。毛利氏庶子家・桂広澄の四男で、桂元澄の弟。父の自害後、毛利氏を離れて平賀氏に仕えた。一方で毛利氏との関係も維持していた。

忽那 通紀 くつな みちのり

伊予河野氏被官。忽那島を本拠とする忽那氏惣領。次郎左衛門尉。鎌倉末期に活動した忽那重清の曾孫にあたる。