戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

大内 武治 おおうち たけはる

15世紀頃の周防大内氏の有力親族。仮名は次郎。官途名は弾正少弼。当主の政弘に次ぐ地位にあったが、応仁・文明の乱の中で東軍方について離反した。

三井 実助 みつい さねすけ

長門国阿武郡大井浦の船頭。弥左衛門尉。元助の子か。

仙崎屋 又衛門 せんざきや またえもん

石見温泉津の商人。日本海水運に関わっていたとみられる。

光井 兼種 みつい かねたね

大内家臣。三郎次郎、兵庫允。光井氏は大内氏の有力家臣・安富氏の庶流で周防国熊毛郡光井保を本拠とする。光井保は周防灘に面し、東に要港室積と接する。兼種も海辺の領主として水軍を率いて活躍した。

張 忠 ちょう ちゅう

明国出身の医師。大内氏、後に毛利氏に仕えた。張由の子。張思朝の父。

蔡 福 さい ふく

中国泉州の商人。赤間関で毛利氏との貿易を行った。

高須 元兼 たかす もとかね

戦国末期の毛利家臣。備後高須の国人・杉原高須氏の当主。仮名は彦七。官途名は宗左衛門尉、後に筑後守。高須元士の子。高須元言の父。

堀立 直正 ほたて なおまさ

戦国期、毛利氏に仕えた商人的武士。官途名は九郎左衛門、後に壱岐守。生年は永正十五年(1518)。子に九郎左衛門、清蔵、藤右衛門がいる。

仲 掃部助 なか かもんのすけ

豊後臼杵の住人。豪商仲屋家の一門であったとみられる。天正元年(1573)、とある事案の交渉の為、大友氏の使者として薩摩に赴いた。

林 存選 りん そんせん

中国明朝の貿易商人。日本や東南アジアとの貿易に従事。天正元年(1573)、大友氏の貿易船でカンボジアから日本に来航した。

大和 相秀 やまと そうしゅう

周防国防府の鋳物師。永正十年(1513)作の浅処寺鐘(下松市、現亡失)に「大工防符大和相秀」とあり、この銘から防府の鋳物師であることがわかる。

佐甲 藤太郎 さこう とうたろう

赤間関の有力商人。問丸役として伊藤氏とともに赤間関町衆を束ねた 。

新納 康久 にいろ やすひさ

島津氏家臣。官途名は、右衛門佐、後に伊勢守。島津氏一族である新納氏の庶流。父は新納忠澄。島津忠良・貴久父子に仕えた。

新納 忠澄 にいろ ただずみ

島津氏家臣。右衛門尉、能登守。島津忠良・貴久父子に仕えた。祖父は新納是久。子に新納康久がいる。

計屋 与三左衛門 はかりや よそうざえもん

戦国末期、豊後臼杵の唐人町で計屋を営んだ商人。

仲屋 宗越 なかや そうえつ

戦国末期の豊後の豪商。仲屋顕通の子。京堺、そして東アジアとの貿易で莫大な富を得た。多くの史料では、名を「宗悦」としていることが多いが、自身は「宗越」と署名している。

九和 きゅうわ

戦国末期、豊後臼杵の豪商。臼杵では、仲屋宗越につぐ屋敷地を持っていた。大友氏の家臣団名簿にも名を連ねていることから、同氏の御用商人であったとみられる。

仲屋 顕通 なかや けんつう

戦国期の豊後の豪商。享禄・天文年間頃に、豊後府内でにおいて対外貿易で巨利を築いたといわれる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の父。ただ、仲屋乾通は江戸期の編纂物にはみえるが、当該期の一級史料では存在を確認されていない。

仲屋 なかや

戦国初期の豊後の商人。大友氏と関係を持ち、対外貿易にも関わったとみられる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の二代、もしくは三代前の人物か。

ファン・ガヨ ふぁん がよ

天正十五年(1587)、平戸からルソン島のマニラへ渡った渡航船の船長。日本人。同年、ルソン島イスラム系原住民の武装蜂起計画の謀議に関与したとされる。

吉近 はるたさ よしちか はるたさ

平戸の領主・松浦氏の家臣。豊後出身のキリスト教徒。松浦氏の使者として平戸とフィリピンのマニラを往復した。

波多野 蔵人 はたの くろうど

大内武治家臣。家臣団の中心的な人物だったとみられる。父の名は波多野出雲守か。

麻生 隆春 あそう たかはる

大内家臣。土佐守。筑前の有力国人麻生氏の一族か。

麻生 家延 あそう いえのぶ

筑前遠賀郡の国人・麻生氏の惣領・麻生家春の子。 兵部大輔。

麻生 弘家 あそう ひろいえ

15世紀後半の筑前の国人・麻生氏の惣領。上総介。麻生義助の子で、家督を義助から継いだ家春の弟。

ビジャーヤ Bejaia

中部マグリブ、グラーヤ山の麓に発達した港町。その前面には風波を避ける深い入江を控えていた。その入江の一部に古代のサルダエの港町があり、ローマやカルタゴの貿易船の出入りで賑わった。

シフル ash-Shihr

イエメン南東部の乾燥地帯、ハドラマウト地方の港町。9世紀の言語学者イブン・ハビーブによれば、アデンやサナアにならぶ南アラビアの定期市が開催される町の一つだったという。すでにジャーヒリーヤ時代(イスラム以前の時代)から貿易商人や遊牧民たちに…

アデン Aden

アラビア半島の南端、紅海の入り口を扼す要衝に位置する貿易都市。古くからインド洋交易で繁栄した。

バルス Barus

インド洋に面するスマトラ島北西岸の港湾都市。バルス王国の王都。スマトラ西岸の寄港地として、また竜脳や安息香、金の積出港として栄えた。

ペグー Pegu

ビルマ南部に栄えたペグー王国の首都。1539年(天文八年)にトゥングー王国に占領されてからは同国の首都となった。