戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ビジャーヤ びじゃーや

 中部マグリブ、グラーヤ山の麓に発達した港町。その前面には風波を避ける深い入江を控えていた。その入江の一部に古代のサルダエの港町があり、ローマやカルタゴの貿易船の出入りで賑わった。

ハンマード朝の首都

 11世紀にはベルベル系ビジャーヤ族とイベリア半島(アンダルス地方)から移住したムスリムたちが一緒に居住するようになり、町の名前も先住民の名前にちなんでビジャーヤと呼ばれるようになった。

 11世紀後半、ビジャーヤはハンマード朝に占領され、アルジェリア中部沿海部を支配する同国の首都となる。その後の1152年(仁平二年)、ムワッヒド朝がビジャーヤを占領するにおよんでハンマード朝は滅亡した。

史料にみるビジャーヤの繁栄

 1154年(久寿元年)、地理学者イドリースィーは、地理書『世界の極遠の各地を踏破することを望む者の慰みの書』を編述した。

 同書によれば、ビジャーヤは中部マグリブ地方の都会であり、ハンマード朝の諸都市の中心であった。また交易船やキャラバン隊も集まってきて碇泊し、陸上と海上からの商品が輸入されていたという。

 都市の住人は富裕であり、極西マグリブの商人、サハラの商人たちや東方イスラーム世界の商人たちと通好し、多くの積荷が解かれ、商品は途方もない価格で取引されていた。加えて、ビジャーヤでは山岳地に木材があるため、町には艦隊、船舶や戦艦を建造する造船所があったとしている。

 さらに、イドリースィーとほぼ同時代の匿名の地理学者による『諸都市の驚異に関する洞察の書』には、イドリースィーの以上の記述に加えて、ビジャーヤにはシリアやルーム地方(イタリアやカタロニア地方など)、エジプトのアレクサンドリア、イエメン地方、インドや中国などからのムスリムの船が碇泊する大規模な投錨地であったことが述べられている。

珊瑚の交易地

 ビジャーヤには、遠くイエメン地方、さらにはインド・中国からムスリム商人が訪れていた。1225年(嘉禄元年)に著された『諸蕃志』の「珊瑚樹」の項には、「珊瑚樹は大食(タージー)の眦喏耶国に産出する」と記されている。この「眦喏耶国」はビジャーヤの音写であるとされる。

 ハンマード朝時代、同国の領土の東の外れには珊瑚の名産地であったマルサー・アルハラズがあり、ここで産した珊瑚はインドや中国においても珍重されていた。同国の首都であり、一大商業地であったビジャーヤには、この珊瑚が運ばれて商人たちに売りさばかれ、結果として遠く中国にもその名を知られることになったと思われる。

関連交易品

参考文献

  • 家島彦一 「地中海産ベニサンゴの流通ネットワーク」(『海域から見た歴史 インド洋と地中海を結ぶ交流史』 2006 名古屋大学出版)