戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-07.東北・北海道地方

與依地 よいち

道南の積丹半島の東の付け根・余市川河口部に形成された港町。現在の北海道余市郡余市町大川町。中世、蝦夷地(北海道)に進出した和人の最前線となった。

セタナイ せたない

北海道日本海沿岸部にあったアイヌの拠点。現在の北海道久遠郡せたな町の内。和人と西部アイヌの交易の中継地であったと考えられている。

上ノ国 かみのくに

天の川河口部左岸の港町。現在の北海道桧山郡上ノ国町。蠣崎氏の本拠地。夷王山の麓に構築された城塞・勝山館の内部には、職人やアイヌの居住空間もあったとみられる。

タマリ たまり

千島列島最南の島・国後島の南端に位置する天然の良港。北海道本島とは根室海峡を隔てて向かいあう位置にあり、古くからアイヌの寄港地、交易地であった可能性もある。

アッケシ あっけし

東蝦夷地(現在の北海道東部)の天然の良港・厚岸湾の奥に位置するアイヌの集落。松前方面と、千島列島方面とを結ぶ交通の要衝。

宇須岸 うすけし

日ノ本(渡島半島東部)の物資の積出港となっていた港町。函館の旧名。宇須岸を交易港とする現在の函館市地域は、居住環境もよく、蝦夷ヶ島(北海道)における和人居住区の経済的中心地として繁栄した。

野辺地 のへじ

下北半島の付根、陸奥湾東南の沿岸に位置する港町。陸奥国糠部郡(上北郡)と陸奥湾、日本海との結節点として南部氏領国の重要港湾となったとみられる。

松前 まつまえ

海峡を隔てて本州・津軽半島と最短距離にある松前半島先端部に位置する港町。中世、蝦夷地和人拠点の中心的地位にあった。

田名部 たなぶ

下北半島の田名部川河口からやや遡った地点に位置する川湊。河口部の安渡浦を外港として下北の中心を担った。

十三湊 とさ みなと

本州北端部である十三湖・日本海間の砂州上に立地した港町。十三湖・岩木川の内陸水運と蝦夷ヶ島(北海道)に通じる北方交易の中心として栄えた。

野代 のしろ

出羽北部を流れる米代川(野代川)河口部に位置する港町。戦国期には檜山安東氏の外港として日本海海運の要衝を占めた。

秋田湊 あきた みなと

秋田平野や横手盆地など北羽最大の穀倉地帯を流域とする雄物川河口部に位置した港町。後背地の物資積出と湊安東氏の勢力を背景にして蝦夷地や畿内方面を結ぶ日本海海運の要港として栄えた。

左沢 あてらざわ

南羽の広域を流域とする最上川の河口部に位置する港町。中世以来、同地域と日本海との結節点を担う水運の拠点として栄えた。

酒田 さかた

南羽の広域を流域とする最上川の河口部に位置する港町。中世以来、同地域と日本海との結節点を担う水運の拠点として栄えた。

閉伊 へい

北上高地から宮古湾、太平洋に注ぐ閉伊川河口部、および宮古湾岸にあった港町。中世に遡って太平洋海運によって津軽、関東方面とつながっていたと推定される。

塩竃 しおがま

陸奥一宮・塩竃社の門前町。同時に陸奥南部の中心・多賀城(多賀国府)の外港として栄えた。製塩も盛んであり、南北朝期の旅行記『都のつと』には「あまの家」から塩焼きの煙が立ち昇る塩竃の風景が記されている。

湊浜 みなとはま

多賀国府から東流して仙台湾に注いでいた冠川(七北田川)の河口部に位置した港町。陸奥国南部の中心都市・多賀国府の外港となった。

多賀国府 たかのこう

戦国期の陸奥国の有力国人・留守氏の居城・高森城の城下町。その所在は東北を縦貫する奥大道上に位置する現在の仙台市岩切周辺と推定されている。

西山 にしやま

桑折西山城の城下町。天文元年(1532)、伊達氏当主・伊達稙宗が居城を梁川城から桑折西山城に移したことを契機として、その膝下に形成された。

塔寺 とうでら

武蔵・上野方面から宇都宮や小山へ至る幹線交通路の要衝に位置した宿場町。「天命」は広義には下野国阿曽郡の地名で、北は堀籠郷、南は馬門郷におよぶ地域。中世以降、天命鋳物の生産が盛んになった。