東蝦夷地(現在の北海道東部)の天然の良港・厚岸湾の奥に位置するアイヌの集落。松前方面と、千島列島方面とを結ぶ交通の要衝。
17世紀初頭の蝦夷の交易ルート
寛永年間(1624~43)、近世の蝦夷地における和人政権である松前藩は、アッケシに「場所」を開設し、千島アイヌらとの交易の拠点としている。
ただ、アッケシ以東のアイヌとの交易は、寛永年間以前から活発に行われていた。元和四年(1618)に松前藩領に潜入した宣教師アンジェリスは報告書の中で、毎年東方のミナシの国から松前に100艘の船が鮭や鰊、猟虎皮を運んでくるとしているとする。同じく宣教師カルワーリヤの報告書では、北東方から松前に来る蝦夷人は63日間航海し、猟虎皮や鷹、鶴、鷲の羽などをもたらすとしている。
オランダ船の入港
寛永二十年(1643)八月、フリース率いるオランダ東インド会社の探検艦隊・カストリカム号がアッケシ(厚岸)湾に入る。フリースらは船体の修理や食料の補給などを進める一方で、蝦夷地の金銀に関する情報の収集を行いながら半月ほど留まった。
情報はシラルカ(白糠)で金と銀が、タカペシ(十勝)で金が得られるなどというものであり、ある程度正確な情報がアッケシに集まっていることがうかがえる。またこの間には松前藩船もアッケシに入港しているが、この船はアイヌとの間で毛皮、鯨油、魚油と米、衣服、酒、タバコなどを交換する船であったという。