戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

タマリ たまり

 千島列島最南の島・国後島の南端に位置する天然の良港。北海道本島とは根室海峡を隔てて向かいあう位置にあり、古くからアイヌの寄港地、交易地であった可能性もある。

アイヌが勧める港

 寛永二十年(1643)六月、「カタイヤ王国」(中国北方)への航路を探していたオランダ東インド会社の探検艦隊・カストリカム号が道東沿岸を航行して歯舞諸島へと到る。

 彼らはここで小舟に分乗してやってきたアイヌと交易を行った。ラッコ皮の購入は見送ったもののオットセイの毛皮、熊の毛皮とタバコを交換し、アラク酒を酌み交わして交歓した。この時アイヌたちは乗組員に島の南にある「タマリ」(国後島の泊村か)という場所での停泊を盛んに勧めたという。

アイヌの交易ルート

 これより以前、元和六年(1620)に松前藩領に潜入した宣教師カルワーリヤは報告書の中で、北東方から来る蝦夷人は63日間航海して松前に至り、猟虎皮などをもたらすとしている。航海日数がある程度正しいのなら、この「蝦夷人」は千島列島やアリューシャン方面からやって来ているとも考えられるという。

 タマリはこのように遠方から北海道本島、さらには松前を海路で往来するアイヌの交易者たちの停泊地、交易地として利用されていたのだろう。

江戸期の交易とアイヌ蜂起

 宝暦四年(1754)、松前藩によりタマリに「場所」が開設されたのも、以上のような背景があってのことかもしれない。しかし以後、松前藩と結ぶ飛騨屋らの横暴は苛烈を極めたといわれ、寛政元年(1789)のクナシリ・メナシの蜂起へとつながってゆく。

関連交易品

参考文献