戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市

シギリヤ Sigiriya

シンハラ王朝の古都。スリランカの中央部に位置する。高さ195メートルの巨大な岩塊(シギリヤ・ロック)上に宮殿が築かれた。

古志 こし

出雲古志氏の本拠地。神戸川左岸の古志郷(現在の島根県出雲市古志町・下古志町)は弥生時代には大きな集落が営まれており、8世紀までには郡家や駅家が設置される交通の要地であった。中世、出雲守護佐々木氏の庶流である出雲古志氏の本拠地となり、戦国期…

三原 みはら

沼田川河口部の港町。天文二十二年(1553)、毛利氏から小早川氏に派遣されていた八幡原六郎右衛門尉が「三原要害」の在番を命じられており、小早川・毛利両氏にとって重要な港町だったとみられる。永禄十年(1567)に三原城の築城が開始され、天正…

硫黄鳥島 いおうとりしま

沖縄本島の北方約110kmに位置する火山島。15世紀には鳥島と呼ばれ、琉球国の硫黄産地として朝鮮にも知られていた。少なくとも江戸初期には人が居住していたことが文献にみえる。

都野津 つのづ

石見国都野郷の港町。現在の島根県江津市都野津町。都野郷の武士である都野氏の拠点の一つだったとみられる。石見国を代表する港の一つであり、中国明朝の『日本図纂』に「撮奴市」として記されている。

江津 ごうつ

石見国最大の河川である江の川(ごうのかわ)の河口部に位置する港町。江の川の河川水運は鎌倉期前半に遡るとされ、その頃から河口の港町として成立していた可能性がある。都野郷の国人領主である都野氏が江津を支配したとみられるが、江要害とよばれた城塞…

会統 Hoi Thong

ベトナム北部のラム川河口にあった港町。外国商船が来航するようになっており、17世紀初頭には日本の朱印船も寄港したとみられる。会統からラム川を通じてラオスの都ヴィエンチャンへと陶磁器などが輸送されるルートがあった可能性も指摘されている。

ヌナレク Nunalleq

アメリカ、アラスカ州西部のユーコン・クスコクウィム・デルタにあった先住民ユピックの古代集落。西暦1350年から1650年頃にかけて人が住んでいたとみられている。なお「ヌナレク」はユピック語で「古い村」を意味する。

プエブロ・ボニート Pueblo Bonito

アメリカ、ニューメキシコ州チャコ・キャニオンの遺跡群にある集落跡。古代チャコ文化の中心地であったとされ、9世紀後半から12世紀後半(日本の平安後期~鎌倉初期)にかけて建設された。最大4階建ての石造りの建物群で構成され、メソアメリカとの交易…

伊平屋島 いへや じま

沖縄本島北部の本部半島から北に約41kmに位置する島。琉球の第一尚氏王朝の初代尚思紹の父鮫川大主の出身地とされる。琉球と日本を結ぶ南島航路の中継点であり、那覇から伊平屋島を経て北北東に進んで日本に至る航路が16世紀の中国では知られていた。

秋徳 あきとく

徳之島東岸の港町。現在の鹿児島県大島郡徳之島町亀徳。薩摩と琉球を結ぶ航路の寄港地の一つ。慶長十四年(1609)五月には琉球侵攻中の島津軍が寄港し、琉球王府から派遣されていた高官を捕縛している。

宇検 うけん

奄美大島南部の焼内湾にあった湊。現在の鹿児島県大島郡宇検村宇検。宇検湊を含めた焼内湾内にある名柄湊・佐念湊などの湊の総称として焼内湊とも呼ばれる。16世紀、このエリアには琉球王国により地方行政単位として「屋喜内間切」が設置されていた。

西古見 にしこみ

奄美大島南西、大島海峡の最西端に位置する港町。薩摩と琉球を結ぶ航路の寄港地であり、慶長十四年(1609)に琉球へ侵攻した島津軍も西古見に寄港している。

口永良部島 くちのえらぶじま

屋久島西方12キロメートルに位置する島。屋久島・種子島とともに大隅諸島を構成する。トカラ列島を越えて奄美大島に至る航路では、風待ちの港として重要だった。なお中世の史料には「永良部島」としてみえることが多い。天保十四年(1843)に完成した…

屋久島 やくしま

大隅諸島・南西諸島に属す屋久島の港町。中世屋久島の港には、同島北部の一湊や北東岸の宮之浦、北西部の永田、東部の安房などの港があったとみられる。戦国期の屋久島では種子嶋氏と禰寝氏が争い、宮之浦周辺に楠川城や城ヶ平などの城塞が築かれた。また一…

白市 しらいち

安芸国高屋盆地東端に位置する市町。現在の広島県東広島市高屋町白市。国人領主平賀氏の本拠地である白山城の城下町となった。元は養国寺の門前町だったともいう。

大原 おおばら

東能美島の中央部の港町。現在の広島県江田島市大柿町大原。中世は西側から深く入り込んでいた入海に臨んでいたとみられる。能美島最大の平野部でもあり、中世にさかのぼる寺院も多数あったとみられる。

壬生 みぶ

中世に「山県表」と呼ばれた地域の中心地の一つ。戦国期までは国人領主壬生氏の本拠だったとみられるが、壬生氏没落後は毛利氏の支配下となった。流通の要地だったらしく、毛利氏は壬生市に目代や公用の輸送業者をおいていた。

オルドバリク Ordu Baliq

8〜9世紀に栄えたウイグル・カガン朝の城郭都市。モンゴルのオルホン川西岸の広大な平坦地にあるハル・バルガス遺跡に比定されている。周囲には約6キロメートルのメインストリートをもつ市街地も広がっていた。

有田 ありた

中世に「山県表」と呼ばれた地域の中心地の一つ。平安時代には有田に隣接する古保利に郡家が置かれていたとみられ、古代からの交通の要衝であったことが知られる。戦国期は武田・高橋・毛利・吉川ら周辺諸氏による合戦が繰り返される一方、市(十日市)が立…

三良坂 みらさか

三次盆地南東部の市町。現在の広島県三次市三良坂町。中世は広沢氏の支配地域であり、後に毛利氏の支配下となった。少なくとも天正年間には「九日市」という市場が成立していた。

石 いし

安芸吉川氏の本拠・日山城南西麓の城下町。家督を嫡子元長に譲った吉川元春が新たに築いた居館を中心に、多くの重臣たちが居館を構えた。また周辺には鍛冶や紺屋などの商工業者も多く住み、市町も形成された。

中山 なかやま

安芸吉川氏の本拠・日山城東麓の城下市町。吉川元春が日山城に入城したころから大きく発展したとみられ、市に定住する市衆や吉川氏が任じた目代(代官)もいた。江戸期の屋号からは、周辺および遠隔地の流通を担う商人や、木綿や皮革・染料を扱う商職人もい…

中須 なかず

中世、高津川と益田川が合流してできた潟湖に面する中ノ島(中洲)に形成された港町。現在の益田市中須町周辺。同地の中須東原遺跡や中須西原遺跡からは多くの貿易陶磁が出土し、舟着き場跡とみられる礫敷き遺構などが検出されている。

益田 ますだ

石見国の有力国人益田氏の本拠地。益田川下流域の益田荘益田上本郷。石見国西部の政治・経済・文化の中心として栄え、益田川・高津川河口域の中須の湊、後に今市を港湾として日本海流通ともつながっていた。

吉舎 きさ

備後北部の三次盆地の出入口に位置する市町。 瀬戸内海と備後北部の山間部をつなぐ交通の要衝として栄えた。中世、備北の有力国人和智氏の本拠となった。

呉 くれ

広島湾の東の関門である音戸瀬戸近くに位置する港町。平安末期には呉浦として史料にみえる。中世は呉津とも呼ばれ、大内氏に属す警固衆である呉衆の根拠地となった。

中之村 なかのむら

石見国邑智郡久永荘の賀茂神社の門前町。現在の邑南町中野。賀茂神社には鎌倉末期には三重塔が築かれており、戦国期には見世棚55軒が軒を並べる門前市が存在した。

テヘラン Tehran

イラン高原北端部の都市。標高1400mに位置し、北端はアルボルズ山脈、南端はキャビール砂漠に接する。カスピ海西岸からホラーサーン地方に向かう際の交通の要地に位置した。ティムール朝の時代に発展し、サファヴィー朝期に市壁で囲まれて都市化。18…

アルダビール Ardabīl

イラン北西部の都市。サバラーン山東麓の標高1400mの高原に位置する。13世紀、サファヴィー教団の教主(シャイフ)サフィー・アッディーンが拠点とした。16世紀にサファヴィー朝が興ると参詣地として多くの巡礼者が訪れ、また絹交易の中継地として…