戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-04.近畿地方

那智天満 なち てんま

紀伊国那智川河口部の港町。周辺の集落群とともに熊野那智山の門前町、外港として栄えた。多くの御師などが屋敷を構え、商人(金融業者を含む)や職人の存在も確認できる。

新宮 しんぐう

熊野三社の一つ・熊野速玉大社の門前町。熊野川上流の本宮や那智の外港として、また戦国期は奥熊野を支配した堀内氏の本拠としても栄えた。中世、海運で活躍した熊野神人の拠点であり、同時に熊野川上流部から下される木材や檜皮の積出港であったとも思われ…

安宅 あたぎ

紀伊国南部・日置川河口部から約2.5kmほど遡った 地点、安宅川が日置川に合流する場所に位置する港町。熊野水軍の一角である安宅氏がこの地に居館(安宅本城)を構えており、同氏が展開する水上交通の拠点を担ったとみられる。

小松原 こまつばら

紀伊国日高郡の日高平野、富安荘内の宿場町。中世の熊野参詣路が町域を北から南に貫通する交通の要衝に位置した。戦国期、幕府奉公衆で有力領主の湯河氏の城下町であり、地域経済の中心でもあった。

紀之湊(雑賀湊) きのみなと

紀淡海峡東側の紀ノ川河口部に位置した港町。雑賀荘や上流の根来寺、高野山などの外港を担い、広域を結ぶ廻船が発着するなど和歌山平野の経済の中心として栄えた。

今井 いまい

南大和地方、現在の奈良県橿原市にあった寺内町。天文年間に建設された真宗道場(後の称念寺)を中心に形成された。大坂方面と南大和の吉野を結ぶ交通の要衝にある栄えた町場であったとみられる。また周囲に環濠をめぐらした要塞都市でもあり、南大和におけ…

小谷 おだに

北国街道脇往還が通る小谷山(小谷城)の南西麓に形成された城下町。戦国大名・浅井氏の本拠地として江北の政治的中心となって栄えた。

長浜 ながはま

琵琶湖の北東岸に接する港町。越前国へと通じる北国街道が通る水陸交通の要衝に位置した。戦国期、長浜城を築城した羽柴秀吉の城下町として栄えた。

石寺 いしでら

南近江の戦国大名・佐々木六角氏の本拠城である観音寺城の城下町。同氏の隆盛とその経済政策のもとで、楽市が立てられるなど南近江の経済の中心として栄えた。

常楽寺 じょうらくじ

近江国琵琶湖の東南岸のやや内陸にある港町。水路によって琵琶湖水運に結節しており、観音寺城や城下町・石寺の外港を担ったとみられる。

坂本 さかもと

琵琶湖南西岸に位置する港町。湖北の港から運ばれる物資の陸揚げ港を担うとともに、比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として栄えた。

枚方 ひらかた

淀川の左岸、枚方丘陵の北端に位置する寺内町。大坂-京都間の街道上にあり、盤船街道の起点として奈良方面にも通じる陸上交通の要衝にあった。

貝塚 かいづか

和泉国中央の沿岸部に位置する寺内町。

尼崎 あまがさき

淀川の末流・神崎川の河口に位置する港町。瀬戸内海と淀川水運の結節点として栄えた。

兵庫 ひょうご

中世、瀬戸内海屈指の重要港として栄えた港町。中世、瀬戸内海各地から多くの物資が兵庫に陸揚げされ、京都などの消費地に運ばれていった。

由良 ゆら

淡路島東南部、瀬戸内海と太平洋を結ぶ廻廊である紀淡海峡に面した港町。紀伊半島と最短距離で向かい合う位置にある。南北2kmにもわたる砂州によって守られた天然の良港。中世、畿内と四国をつなぐ中継港として栄えた。

家島 いえしま

室津沖約10kmの播磨灘に浮かぶ家島諸島の中心である家島の港町。古くから瀬戸内海航路の停泊地として利用されていた。神武天皇が瀬戸内海航行中に停泊し、「波静かにして家の中に居る ようようである」と言ったことから「家島」の名がついたという伝承が…

姫路 ひめじ

播磨西部の拠点・姫路城の城下町。山陽道が通過し、但馬方面へも街道が通じる陸上交通の要衝。中世には、「符(府)中守護屋敷」(浦上則宗書状)が置かれていた。このことから府中(播磨国府)として、一定の都市性を保っていたと考えられる。

室 むろ

播磨国揖保郡南部から幹線航路に突出した小さな半島の西側に位置する港町。三方を山が囲む小さな入江を天然の良港として瀬戸内海航路屈指の重要停泊地、海運基地として栄えた。

那波 なば

深く入り込んだ相生湾の最奥の芋谷川(旧矢野川?)河口部に位置した港町。中世、東寺領(後に南禅寺領)となった矢野荘の倉敷地として物資の集散地を担った。

坂越 さこし

播磨国西部の坂越湾に面する港町。中世、瀬戸内海の寄港地として栄えた。