戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-02.中国地方

銀山 ぎんざん

石見銀山の鉱山町。大永七年(1527)に銀山開発が始まると、仙ノ山一帯には鉱山労働従事者や職人、商人らが集まって巨大な都市が形成され、膨大な物資集散が行われた。なお石見銀山自体は戦国期は「佐間(佐摩)銀山」と呼称されていた。

萩原 おぎはら

石見銀山東方の宿場町。森林資源の豊富な石見国邑智郡や出雲国と石見銀山を結ぶ道筋の要地にあった。銀山の最盛期は荻原千軒ともいわれる栄えた町場であったという。

宅野 たくの

石見国邇摩郡の北東端に位置する港町。現在の島根県大田市仁摩町宅野。沖合に韓島(辛島)、麦島、逢島があって北風を防いでいる。17世紀初頭には町場が形成されており、石見銀山への物資補給基地であったともいわれる。

西田 にした

石見銀山と銀山の外港温泉津を結ぶ街道の中継地点に位置する宿場町。現在の大田市温泉津町西田。銀山と温泉津の間の物資輸送の拠点として栄えた。また16世紀末の史料から、銀山や温泉津周辺で活動する人物が住んでいたことも分かっている。

鹿老渡 かろうと

安芸国倉橋島の最南端の港町。かつては島であった高見山との間に形成された陸繋砂州上に作られた。芸予海峡のほぼ中間に位置し、16世紀後半頃から活発化しはじめた沖乗り航路の潮待ちの停泊地として利用されるようになったとみられる。

下津井 しもつい

中世、独立した島嶼であった児島(現・児島半島)の南西端に位置した港町。瀬戸内海の喉首を占める地勢上、瀬戸内海航路の重要な寄港地として、また水運の拠点としても栄えた。

宮内 みやうち

備後一宮吉備津宮の門前町。吉備津宮は12世紀には史料にみえ、中世を通じて備後国内で広く信仰を集めた。江戸初期の境内図には、門前に町場が形成され、大工や鍛冶などの職人が住んでいたことが描かれている。

新見 にいみ

備中国北部の荘園である新見荘にあった市庭町。領家方と地頭方の両地域にそれぞれ市庭在家をもつ市庭が形成されていたが、領家方の市庭が規模が大きかったと推定されている。荘園領主である東寺に多くの文書が残されていることも特徴。

矢野 やの

広島湾に注ぐ矢野川の河口部に形成された港町。室町・戦国期、安芸の有力国人である野間氏の本拠地となった。同氏の警固衆は矢野を拠点としており、番匠や鍛治も住んでいたとみられる。

末次 すえつぐ

出雲国宍道湖東岸の港町。白潟の対岸にあり、亀田山(現在の城山)南方の砂州上に形成されていたと推測されている。永禄年間の毛利氏侵攻以前から町場が形成されていた。江戸初期、堀尾氏により建設された松江城下町に取り込まれた。

伊尾 いお

備後国世羅郡大田庄桑原郷の集落。現在の広島県世羅郡世羅町伊尾。初期の大田庄の開発を担った橘氏、および鎌倉初期に地頭となった三善氏の本拠地となった。戦国期は尾首城主であった湯浅氏の本拠となり、同氏によって大通、近森の両地区の開発が進められた。

白潟 しらかた

出雲国宍道湖東岸の港町。宍道湖東側の出口に形成された砂州の先端付近に形成されたとみられる。水陸の交通の要衝であり、また職人ら多くの住人を抱える都市でもあった。

高山 こうざん

備後国世羅郡大田庄の今高野山およびその門前町。中世、紀伊国の高野山領となった大田庄の支配拠点となったとみられる。17世紀初頭の福島正則の時代には安芸・備後屈指の町場へと発展していた。江戸期の名称は「甲山町」であったが、文政三年(1820)…

岩国 いわくに

周防国最東部の錦川河口部の港町。古来より山陽道の要所であり、また錦川流域と瀬戸内海の結節点であった。中世には周防守護・大内氏の有力家臣である弘中氏の拠点となり、周辺には多くの警固衆が存在した。江戸期には吉川氏が岩国城を築いて入部した。

日積 ひづみ

周防東部の街道の要衝に位置した市場町。現在の山口県柳井市日積の鍛冶屋原地区には、大内氏の代官・杉氏が屋敷を構え、鉄材料を加工する鍛冶がいたことが遺跡と史料から分かっている。

高山 たかやま

沼田小早川氏の居城・高山城の城下町。沼田荘を流れ瀬戸内海に注ぐ沼田川と山陽道(西国街道)の結節点という交通の要衝に位置する。

草戸 くさど

備後国南部、芦田川河口部の港町。鎌倉期に成立し、地域経済拠点としての役割を果たしながら、16世紀初頭まで存続した。なお集落の名称は時代によって「草津」、「草井地(くさいじ)」、「草出(くさいつ)」、「草土(くさど)」、「草戸(くさど)」な…

深津(備後) ふかつ

備後国の福山湾に面した港町。中世までは蔵王山から南へ突き出た深津丘陵によって深い湾が形成されていたとみられる。現在の広島県福山市東深津町。9世紀の文献に市場の賑わいが記されており、中世においても活発な商取引があったと推定される。

椋梨 むくなし

沼田小早川氏の有力庶子家・椋梨氏の本拠地。現在の広島県三原市大和町椋梨。椋梨氏の居城である堀城の周辺には、屋敷地や市場、寺院などがあったと推定されている。

竹原本庄 たけはらほんじょう

竹原小早川氏の居城・木村城の城下集落。本項名称は当時のものではなく、便宜的な仮称。青田山麓(現在の青田地区諏訪迫)の領主居館を中心に、寺社や町場、鍛治、防衛設備、家臣居館等があったとみられる。

竹原 たけはら

安芸国東西条方面から流れる賀茂川の河口部に位置する港町。中世、安芸国人・竹原小早川氏の外港ともなった。現在とは違い、賀茂川が注ぐ中世の竹原湾は、沖に浮かぶ横島に守られ、小島が点在する波静かな良港であったとみられる。

高津 たかつ

石見国西部、高津川河口部の港町。13世紀前半には高津郷における津湊の存在が確認できる。高津川・益田川流域の物資集散地として栄えたとみられる。

見島 みしま

萩沖、約90キロメートルの日本海に浮かぶ見島の港町。山陰と対馬・朝鮮半島を結ぶ中継点にあった。見島はその地理的条件から、奈良・平安期においては朝鮮半島をにらんだ防衛拠点であった。中世には、大陸との交流の拠点となった可能性も指摘されている。

横田 よこた

石見西部、高津川と匹見川の合流点付近に位置した市町。 匹見川と高津川の両河川の流域の物資集散地として、益田氏の本拠・益田本郷と内陸部をつなぐ交通の要衝として栄えたとみられる。

三吉 みよし

備後北部の三次盆地の馬洗川流域、現在の広島県三次市畠敷あたりにあった市町。国人・三吉氏の本拠である比叡尾山城の城下町でもあったとみられる。

神辺 かんなべ

中世山陽道の分岐点に位置した市町。現在の広島県福山市神辺町。特に大字川北や大字川南が町場の中心だったとみられる。

鞆 とも

瀬戸内海に突出た沼隈半島の東南端する港町。仙酔島や大可島などの島々に守られた良港。瀬戸内海を航行する際の潮待ちに利用され、瀬戸内海航路の要港として栄えた。

田島 たしま

備後国沼隈半島のすぐ南に浮かぶ田島の西岸、横島との海峡部に位置する港町。中世、海賊衆・因島村上氏の拠点の一つとまった。また塩などの周辺物資の運搬を担う水運基地として栄えた。

三庄 みつのしょう

因島南部に位置する港町。中世の三庄は因島島内で中庄につぐ塩の荘園だった。

中庄(因島) なかのしょう

備後因島の中央部に位置する港町。室町・戦国期、瀬戸内屈指の海賊衆・因島村上氏の本拠として水運、水軍の基地となった。