戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-02.中国地方

塩湯 しおゆ

美作国・吉野川沿いに位置する宿場町。現在の岡山県美作市湯郷。中世、温泉町として、また美作の勝田郡と備前を結ぶ街道の要衝としても栄えた。

伊部 いんべ

備前国の片上湾に臨む港町。中世、皇室領香登荘と、その西方約五キロにある吉井川流域の物資集散港となった。また室町・戦国期に西日本全域で使用された備前焼の生産・流通拠点としても栄えた。

福岡 ふくおか

吉井川の下流が山陽道と交差する水陸交通の要衝に形成された市場町。中世、穀倉地帯であった福岡荘や香登荘など周辺荘園や美作など吉井川上流地域の物資集散地となって栄えた。

牛窓 うしまど

瀬戸内海に面した備前国邑久郡の港町。前面の前島、後背の阿弥陀山によって大風から守られた天然の良港であり、中世、瀬戸内屈指の水運基地として栄えた。

西大寺 さいだいじ

吉井川の中世における河口部に位置する西大寺の境内に形成された門前町。周辺経済の中心を担う市庭町として栄えた。元亨三年(1323)の史料には「市津」としてみえ、港町でもあったことが分かる。

吉備津 きびつ

備中国一宮・吉備津宮(吉備津神社)の門前町。大平山と吉備中山に挟まれた吉備路の回廊部に位置する。備中国の内外に広がる吉備津宮領の中心であり、同領や周辺地域の物資集散や年貢の換金を担った。

松山 まつやま

中世における備中国屈指の要城・松山城の城下町。備中を南北に貫流する高梁川と支流の成羽川とが合流する地点の北側に広がる盆地に形成されたとみられる。松山の地は南北と東西の街道が交差し、また高梁川の水運も抑えることができる水陸交通の要衝であった…

成羽 なりわ

備中国の主要河川である高梁川の水系・成羽川が貫流する成羽盆地に位置した市庭町。中世、天龍寺領成羽荘の中心であるとともに、戦国期、有力国衆・三村氏の拠城・鶴頸城の城下町としても栄えた。

西阿知 にしあち

備中国の大河川・高梁川の中世における河口部に位置する港町。水運の拠点として物資集散地を担った連島に対する同河川流域の物資集積地として発展した。

連島 つらじま

中世において、備中国の大河川・高梁川の河口部沖、児島の北西端沖に浮かんでいた連島の港町。高梨川流域をはじめとする備中内陸部および瀬戸内海を中心とする海域の物資集散地として栄えた。

八浜 はちはま

中世は独立した島嶼であった備前国児島の北岸に位置する港町。旭川などを通じて運ばれる美作や備前の産品の輸送基地を担って栄えた。

日比 ひび

中世には独立した島嶼であった児島南岸の港町。地域の水運の拠点を担った。対岸の讃岐との海峡部に臨む瀬戸内海航路の要衝という地勢条件から、航行船舶から礼銭を徴収する「関」(海賊)の根拠地でもあった。

下津井 しもつい

中世、独立した島嶼であった児島(現・児島半島)の南西端に位置した港町。瀬戸内海の喉首を占める地勢上、瀬戸内海航路の重要な寄港地として、また水運の拠点としても栄えた。

笠岡 かさおか

神島や片島、横島によって守られた波静かな笠岡湾の最奥に位置する港町。備中国の西端、備後国との国境のすぐ近くに位置する。

賀露 かろ

鳥取平野の中央部を南北に流れる千代川河口部の港町。現在の鳥取県鳥取市賀露町。古代以来、因幡国の海上交通・流通の要衝にあった。

西郷 さいごう

隠岐諸島の島後にあり、隠岐国の国府、守護所に直属した港町。隠岐国の水運の中心を占めたと思われる。

倉吉 くらよし

伯耆国東部、天神川と小鴨川の合流点付近の打吹山北麓に位置する市場町。陸上・河川交通の要衝として、また伯耆守護・山名氏の本拠としても栄えた。

橋津 はしづ

伯耆国東部、潟湖である東郷池・橋津川の河口部に位置した港町。中世、東郷池水系周辺や天神川流域(当時は橋津川河口部に合流していた)などの後背地域と、日本海航路を結節する物資集散地であったとみられる。

東城 とうじょう

備後北部、東城盆地に位置した市町。山陰と山陽・瀬戸内海を結ぶ街道や、備中へ至る街道が通る交通の要衝であり、中世には備後の国人・宮氏の重要拠点となった。

地毘本郷 じびほんごう

備後国北部の恵蘇郡のほぼ全域を占めた荘園・地毘荘の中心地。中世、備後の有力国人・山内(首藤)氏の本拠として栄えた。

吉舎 きさ

備後北部、三次盆地の出入口に位置する市町。 瀬戸内海と備後北部の山間部をつなぐ交通の要衝として栄えた。中世、備北の国人・和智氏の本拠となった。

三良坂 みらさか

三次盆地南東部の市町。現在の広島県三次市三良坂町。

志和地 しわち

備後北部、板木川と合流する可愛川東岸に形成された市町。国人・三吉氏の領国西南部の要衝であり、同氏はここに支城、八幡山城を築いて経営の拠点とした。

美保関 みほのせき

正面に中国地方最大の伯耆大山を臨む島根半島東端に位置する港町。中海と日本海、隠岐海域など複数の海域を結節する要衝を占めた。中世、小浜に次ぐ西日本海航路の重要中継港であり、重要な海関でもあった。

安来 やすぎ

出雲中海南岸の港町。現在の島根県安来市安来町。出雲国の東端、伯耆への玄関口に位置し、中海を通じて日本海水運にも繋がることから、中世、水陸交通の要衝として栄えた。

馬潟 まかた

中海と宍道湖をつなぐ朝酌川の南岸に位置する港町。中世、「水海」(中海・宍道湖)水運の要港として栄えた。

塩冶 えんや

出雲山間部から出雲平野を貫流する斐伊川、神戸川の両河川が通過する要地・神門郡塩冶郷の市町。中世、出雲西部の有力国人・塩冶氏のもとで河川水運・流通の拠点として栄えたとみられる。

宇竜 うりゅう

島根半島西端部に位置する港町。中世、杵築社領十二郷七浦の一つ。戦国期、雲州鉄の積出港として各地からの船が来航した。

杵築 きづき

杵築大社の外縁に形成された門前町。当時は日本海にも注いでいた斐伊川河口の「湊」とも一体となって、出雲平野・日本海水運の要衝を占めた。

来島三日市 きじまみっかいち

出雲・石見国境域の市場町。現在の島根県飯石郡飯南町野萱字三日市。山陽と山陰を結ぶ陰陽交通の幹線路である出雲路(備後路)が縦貫する要衝に位置している。北方の下三日市大前原では、慶長年間に牛馬市が始まったという。