戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-01.九州地方

佐志 さし

佐志川河口部の潟湖に面した港町。現在の佐賀県唐津市佐志地区。中世、松浦党・佐志氏の本拠となった。遺跡からは中世の湊の遺構が見つかっており、栄えた交易港であったことが推定されている。

宮之浦 みやのうら

屋久島の北東岸 、宮之浦川河口部の港町。戦国期の屋久島をめぐる種子嶋氏と禰寝氏の紛争では、宮之浦周辺に楠川城や城ヶ平などの城塞が築かれた。その他の屋久島の港としては、北部の一湊、北西部の永田、東部の安房などがあったとみられる。

坊津 ぼうのつ

リアス式海岸と後背の山地によって守られた良港を持つ九州西南端の港町。地勢的条件から、琉球、中国に対する貿易拠点を担って栄えた。

志布志 しぶし

深く広く湾入した志布志湾の奥に位置する港町。現在の鹿児島県志布志市。中世、物資の集散地や中国など海外との貿易で栄えた。

美々津 みみつ

日向国北部を東西に貫流する耳川の河口部に位置する港町。神武東征の出発地としての伝承を持つなど、古くから栄えたとみられる。

細島 ほそしま

日向国北部の塩見川河口部の対岸に浮かぶ細島の港町。中世以来、日向灘の海上交通の要衝として栄えた。

臼杵 うすき

豊後国臼杵湾の最奥部に位置する港町。永禄五年(1562)頃、大友義鎮によって丹生島城が築かれて以降、大友領国の政治・経済の中心として発展した。

佐賀関 さがのせき

佐賀関半島先端部のくびれ部分に位置する港町。伊予国佐田岬と速吸瀬戸を挟んで対峙し、豊後水道の航路の要衝として栄えた。

府内 ふない

中世、豊後を支配した大友氏の城下町。大分川河口西岸に位置する。大友氏のもとで国際貿易港として繁栄した。

岐部 きべ

豊後国国東半島北岸の入江に臨む港町。海上勢力・岐部氏の拠点でもあった。

徳淵 とくぶち

球磨川デルタの先端部に位置した港町。戦国期、肥後南部の中心の一つである八代の外港として栄えた。

八代 やつしろ

肥後国の中央部、熊本平野南部に位置する港町。同平野南部を貫流するかつての「大川」(白川と緑川が合流して有明海に注ぐ河川)の河港として栄えた。

河尻 かわじり

肥後国の中央部、熊本平野南部に位置する港町。同平野南部を貫流するかつての「大川」(白川と緑川が合流して有明海に注ぐ河川)の河港として栄えた。

高瀬 たかせ

菊池川と繁根木川に挟まれた三角州に位置する港町。現在の熊本県玉名市高瀬町。九州内陸部と有明海との結節点として繁栄した。

長崎 ながさき

肥前国長崎半島の付根の入り江を天然の良港とする港町。戦国後期から近世にかけて、ポルトガル船による南蛮貿易の中心拠点として栄えた。

奈留 なる

肥前国五島列島の一つ・奈留島の港町。 平安期以来、日本の対中国貿易の最前線となった。

平戸 ひらど

肥前平戸島北部の港町。松浦党の平戸氏(後に戦国大名化して松浦氏を称する)の本拠地。中世から大陸との航路の重要な寄港地であり、国際貿易の拠点であった。戦国期にはポルトガル船の入港も加わって繁栄した。

藤津 ふじつ

有明海の北西、肥前国藤津郡の港町。現在の佐賀県鹿島市浜町付近に比定される。

嘉瀬 かせ

有明海北端に注ぐ嘉瀬川河口に位置する港町。現在の佐賀県佐賀市嘉瀬町。平吉氏など戦国大名龍造寺氏をささえた有力商人が住んでおり、肥前を代表する港町の一つとして中国にも知られた。

唐津 からつ

現在の佐賀県北西部、玄界灘に面する松浦川河口部の港町。江戸期以前には東西6キロに及ぶ砂洲(後の「虹の松原」)の発達により形成された細長いラグーンがあり、船の碇泊に適した良港だったとみられる。中世、松浦党の拠点となった。

鷹尾 たかお

有明海にそそぐ矢部川の下流右岸に位置する港町。中世、河港として荘園・瀬高荘など矢部川流域の物資積出港を担った。

博多 はかた

天然の巨大な良港・博多湾に臨む港町。古代以来の国際貿易港であり、平安末期には中国宋朝との交易拠点となり、宋人の居住区もあった。室町・戦国期は、中国や朝鮮だけでなく東南アジアとの交易も盛んになった。

櫛間 くしま

志布志湾の東端、福島川の河口部に位置する港町。現在の宮崎県串間市。日南海岸の南端部にもあたり、東は日向灘に面する。日向国や土佐国と大隅国をつなぐ海路の要衝にあり、琉球や東南アジア方面との対外貿易の基地ともなった。戦国期、島津氏と肝付氏が激…

芦屋 あしや

筑前国遠賀川河口部に位置する港町。中世、同じく北九州にあった門司や博多と連携する海運の拠点として栄えた。