戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

鷹尾 たかお

 有明海にそそぐ矢部川下流右岸に位置する港町。中世、河港として荘園・瀬高荘など矢部川流域の物資積出港を担った。

倉敷地として発展

 鎌倉期、鷹尾別符とみえ、筑後国一宮・高良大社の別宮で瀬高下荘の鎮守・鷹尾社を支えた。一方、瀬高荘の倉敷地として、年貢やその他の物資の集散基地となっていた。これに関連し、地頭・大友氏が津料徴収や倉敷の管理などをめぐって領家と長年にわたる相論を起こしている。鷹尾が大きな権益が存在する港町に、発展していたことが分かる。

国人田尻氏の本拠

 戦国期の天文十七年(1548)、国人領主・田尻氏は鷹尾城を本拠城として鷹尾に拠点を移す。田尻氏は元亀元年(1570)、竜造寺氏を攻撃する大友氏から兵船を準備して榎津に在陣するよう命じられている。この頃、鷹尾は田尻氏の水軍基地でもあったと推定される。

舶来品の輸入

 天文十六年(1547)、府内を訪れた田尻氏は大友氏に贈り物をしているが、その中には鷹尾周辺地域で栽培されたと思われる木綿のほかに、嶋木綿、絹布の緞子、北絹・北黄円など舶来品が多数含まれていた(「参府日記」)。

 また、鷹尾を外港とする上流の瀬高は、『籌海図編』など中国・明の史料にも見える。鷹尾が大量の高級舶来品の調達が可能な国際貿易港となっていたことをうかがうことができる。

参考文献

  • 鈴木敦子「中世都市としての瀬高」(『日本中世社会の流通構造』) 校倉書房 2000