戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2.交易品-05.東海・関東地方

志野(美濃焼) しの

美濃焼の一種。長石を釉薬とした白いやきもの。慶長五年(1600)までには生産が始まっていたとみられる。器種は大きく分けて、白磁や染付といった中国陶磁器を意識した丸皿などの量産品と、茶碗・鉢・水指などの茶陶製品がある。初めて筆による絵付けが…

瀬戸黒(美濃焼) せとぐろ

美濃焼の一種。黄瀬戸と同様、瀬戸の黒色の茶碗という意味からその名で呼ばれる。器種はほぼ茶碗に限定されている。美濃国の東濃地域(可児、土岐、恵那の3郡にまたがる地域)における大窯で、天正年間末期頃から17世紀初頭にかけて黄瀬戸、志野などとと…

黄瀬戸(美濃焼) きせと

美濃焼の一種。天正末年頃から慶長十年(1605)頃まで生産された。名称は「瀬戸より来たる黄色のやきもの」という意味。当初の黄瀬戸は中国の青磁をモデルとしたとみられるが、後に華南三彩の影響を受けたといわれる。

織部(美濃焼) おりべ

美濃焼の一種。慶長十年(1605)頃から元和年間頃まで生産された。多様な色彩やモチーフ、器形が特徴。その名は、同時代の茶人古田織部助重然に由来するとされるが、具体的な関係はよく分かっていない。

浜名納豆 はまななっとう

遠江国浜名湖周辺で作られた大豆の発酵食品。戦国期、今川氏領国にて贈答品として用いられており、駿河に下向していた山科言継はその製法を日記に記している。

慈光茶 じこうちゃ

武蔵国の都幾山慈光寺(埼玉県ときがわ町)で生産された銘茶。当時、武蔵国を代表する銘茶として現地では知られたが、京都では「河越茶」として認識されていた。現在の埼玉県・東京都で生産される「狭山茶」の起源の一つとされる。

木綿(武蔵) もめん

武蔵国で生産された木綿布。16世紀後半から生産され、広く周辺地域で着衣として用いられた。

小田原天命 おだわらてんみょう

戦国期、相模の小田原で鋳造された茶湯釜。小田原新宿に居住した鋳物師・山田二郎左衛門とその一門によって鋳られたといわれている。

三浦木綿 みうら もめん

相模国三浦半島で生産された木綿。少なくとも16世紀後半頃から生産が始まったとみられ、周辺地域で衣類などに用いられるとともに遠方への贈答品などにも用いられた。

鯨(関東) くじら

小田原北条氏に仕えたこともある三浦浄心は、17世紀初頭に当時の世相を事細かに記録した『慶長見聞集』を著した。浄心によれば、関東における積極的な捕鯨は、文禄年間(1592-1596)に尾張から相模三浦に来た間瀬助兵衛という鯨突き名人が、鯨が…

鯛(相模湾・江戸湾) たい

江戸湾や相模湾は鯛の良質な漁場だった。水揚げされた鯛は、上流層の贈答や饗応などに用いられた。戦国期、北条氏は小田原周辺から「御台所船」役として鯛、鮑などの海産物を定期的、臨時的に上納させている。

蜜柑(東海地方) みかん

戦国期、蜜柑は、相模や駿河などの東海地方で栽培されていた。北条氏や徳川氏をはじめとする有力者間の贈答品にも用いられた。

江川酒 えがわしゅ

伊豆国韮山周辺において、生産された酒。関東を代表する名酒として、全国的に知られた。

木綿(駿河国) もめん

駿河国において生産された木綿。同国では今川氏や武田氏から「木綿役」が賦課される重要物資であった。

鯨(伊勢・尾張) くじら

中世、伊勢・尾張の近海では、鯨が多く捕獲された。15世紀以降、史料上に鯨に関する記事が散見されるようになる。16世紀には捕鯨技術が確立されていたことも確認できる。

肥鰯 こえいわし

戦国期、三河国や伊勢国などでは「こえいわし」が販売されていた。当時の両国は、有力な木綿生産地であり、鰯が肥料として用いられた可能性がある。

三河木綿 みかわもめん

三河国において生産された木綿。16世紀初頭には栽培が定着し、貴人への贈り物にも用いられた。

水銀(伊勢) すいぎん

伊勢国では、飯高郡丹生を中心に水銀が産出された。水銀は主に、銅器の鍍金料などに用いられた。

伊勢布 いせふ

伊勢国で織られた芋麻布、あるいは木綿布。保内商人らによって近江や京都にも運ばれた 。