戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

木綿(駿河国) もめん

 駿河国において生産された木綿。同国では今川氏や武田氏から「木綿役」が賦課される重要物資であった。

贈り物に使われる

 弘治三年(1557)ニ月二十七日、駿河国に滞在していた公家・山科言継は、今川家臣・一宮出羽守から「木綿二端」を贈られ、「祝着」と感想を日記に記している(『言継卿記』)。

 言継は三月一日に駿府を出発して京都への帰路につくが、その前日のニ月三十日にも矢部縫殿丞から「木綿二端」を贈られている。この日は他にも多くの人々が言継のもとに挨拶に訪れ、その際の贈り物として濱納豆や興津鯛(沖津鯛)など地元の名産品の名が見みえる。木綿もまた、駿河国において贈答用に用いられる名産の一つであったことがうかがえる。

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 さらに永禄九年(1566)十二月四日、京都に戻っていた言継のもとに、駿河国の新光明寺住持・忍誉から便りを託された商人が訪れ、木綿一端を言継に贈っている。駿河の木綿は、この商人の商品の一つだったのかもしれない。

港町での木綿役徴収

  天文二十二年(1553)、駿河今川氏の御用商人・友野二郎兵衛尉が今川氏から再交付された朱印状によれば、友野氏は馬番料として木綿25端を今川氏に納めることを条件に、江尻、岡宮、原、沼津で「木綿役」(木綿への移出税)の徴収を認められている。今川氏領国内において、これらの港町が木綿の積出港となっていたとみられる。

 この友野氏の権利は元亀元年(1570)、駿河に進出してきた武田氏にも「木綿之役」として認められている。今川氏、武田氏がそれぞれ「木綿役」、「木綿之役」として特別に挙げていることから、駿河において木綿が重要物資の一つだったことがうかがえる。

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004

言継卿記 第3巻 弘治三年正三月丗日条 国立国会図書館デジタルコレクション