戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

木綿(武蔵) もめん

  武蔵国で生産された木綿布。16世紀後半から生産され、広く周辺地域で着衣として用いられた。

武蔵での木綿栽培

 『新編武蔵国風土記稿』には、同国越生上野村聖天宮の「文亀二年(1502)辛未四月十九日」付の棟札の写が掲載されている。これによれば、聖天宮再興にあたって各関係者が紙と木綿を奉納している。「文亀二年」は元亀二年(1571)の誤写とされるが、紙と木綿はそれぞれ現地産とみられ、16世紀後半には武蔵で木綿生産が始まっていたと思われる。

熊谷での売買

  生産された木綿は、越生の北東にある熊谷におかれた「宿」(取引所)で売買されたとみられる。天正八年(1580)十二月の「成田氏長印判状」で、「熊谷の町」における「木綿売買ノ宿」は長野喜三の所で行うことが命じられている。成田氏と同氏を傘下におく北条氏が、木綿流通の統制を行っていたことがうかがえる。

 近世に著された『慶長見聞集』では、大永元年(1521)の春に熊谷の市で「西国のもの」が木綿の種子を売買し、これがよく生育したため、これを知って翌年購入した相模三浦郡の人々によって三浦木綿の栽培が始まったとされる。この話が事実とすれば、「西国のもの」が種子を売りに来た背景に熊谷周辺の活発な木綿栽培があったと思われる。

一般への普及

  また天正二年(1574)に武蔵の鉢形城主・北条氏邦が定めた軍役衆の服装規定では、「一騎合衆」(下層の侍、在村の農兵)について冬は紙衣か木綿とされている。木綿の一般への普及もかなり進んでいたことが分かる。

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004