戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

小田原天命 おだわらてんみょう

  戦国期、相模の小田原で鋳造された茶湯釜。小田原新宿に居住した鋳物師・山田二郎左衛門とその一門によって鋳られたといわれている。

関東の茶湯釜

 関東における茶湯釜の歴史は古く、下野国の佐野で鋳られた釜が佐野天命と呼ばれ、室町期から、関東の良い釜は天命と評価されてきた(『和漢三才図会』)。小田原天命については、『釜師之由緒』に「古天命。小田原天命・佐野天命の外は下手なり」とあり、佐野天命に並ぶ評価であったことがうかがえる。

山田二郎左衛門

 小田原天命は、小田原新宿に居住した鋳物師・山田二郎左衛門とその一門によって鋳られたといわれている。 二郎左衛門は北条氏の鋳物師の棟梁であり、同氏の発注をうけて大筒など火砲の製造を行うこともあった。その一方で鍋や湯釜、風炉などの日常品の鋳造も行っていることも史料にみえる。

小田原天命の名物

 小田原天命の名物釜について、『名物釜所持名寄』には「口厚手丸釜」、「鞠釜」、「小鶴首釜」、「雁釜」の四点が紹介されている。しかし、伝存の実作については、必ずしも明らかではない。貝の鐶付が胴体に食い込ませてあり、佐野天命とは違い、釜に芦屋風地紋があるのがそれであろうとされている。

誕生の背景

 また小田原天命の誕生の背景には、小田原における茶湯の流行があったといわれる。天正十六年(1588)四月頃、京都で活躍していた茶人・山上宗二が小田原に下ってきた。『北条記』には宗二の小田原下向を契機として、北条一門衆や年寄衆らの間で茶の湯がことのほか流行したことが記されている。

 もっとも、堺の茶人たちと関係の深かった京都大徳寺と北条氏の菩提寺・早雲寺は、早雲寺開山当初から教線上の結びつきが強かった。寺院間の交流を介して、宗二下向以前から茶湯文化が小田原に浸透していたとも考えられる。

参考文献