戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

三浦木綿 みうら もめん

  相模国三浦半島で生産された木綿。少なくとも16世紀後半頃から生産が始まったとみられ、周辺地域で衣類などに用いられるとともに遠方への贈答品などにも用いられた。

三浦での木綿栽培のはじまり

 慶長十九年(1614)の奥書を持つ『慶長見聞集』には、三浦の翁の語るところとして三浦木綿の由来が記されている。これによれば、大永元年(1521)春に武蔵の熊ヶ谷(熊谷)の市で「西国のもの」が売っていた木綿の種子を、三浦の人間が買い取って栽培したのがはじまりとされる。これが成功して「三浦木綿」として諸国で珍重され、関東の多くの人々が木綿を着るようになったという。

 『慶長見聞集』は奥書の慶長十九年よりも後に書かれたもので、史料的価値は必ずしも高くはない。しかし、木綿の種子が売られていたとされる熊谷には、天正八年(1580)の段階で木綿売買のための「宿」があったことが史料にみえる。このため、ある程度の事実を反映しているものとみられる。

贈り物に使われる

  相模三浦郡野比の最宝寺に宛てた京都の按察法橋具明の年欠五月二十三日の文書には、最宝寺から「木綿卅端」が具明の主筋に贈られたことがみえる。

 文禄元年(1592)頃には、徳川家康相模国海老名の総持院に宛てて、「三浦木綿」を贈ってくれたことへの礼状を送っている。この時期には三浦木綿が贈答品にも用いられる品質を備えてたことがうかがえる。

参考文献

  • 永原慶二 『芋麻・絹・木綿の社会史』 吉川弘文館 2004

慶長見聞集 国立国会図書館デジタルコレクション