2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
戦国期日本における最大級の戦艦。小型で500石、大型では2000石にも及ぶ積載量をもち、盾板(装甲用の硬く厚い板)で装甲し、甲板上には2層ないし4層の楼閣(矢倉)を備えていたといわれる。その巨大な積載量を生かして鉄炮や大筒(石火矢)などの…
六枚櫂の中型船。近世の史料には「羽賀瀬」「羽風」「波働」「羽海艘」「羽翰」などと書かれ、ハガセ、ハカゼ、ハガイソウ、ハガイなどと呼ばれていたと推定されている。船底は平らで堅牢であったが、ムシロ帆による帆走の性能は低かった。主として櫂走であ…
戦国期の関東で活躍した絵師の興悦が溌墨技法で描いた山水図。幻庵(伊勢宗瑞の子の幻庵宗哲)が賛文を附している。現在は東京国立博物館の所蔵。
雪舟等楊が美濃国伊自良の楊岐庵を描いたとされる山水図。雪舟は文明十三年(1481)秋に美濃国の正法寺を訪れており、同寺の春蘭寿崇に招かれて楊岐庵にも赴いたとみられる。
江戸初期の絵師俵屋宗達が描いたとみられる総金地の二曲屏風。左右一組(二曲一双)の構成。向かって右の屏風に白い風袋を抱えた緑色の風神が、左の屏風には連鼓を背負った白色の雷神が描かれている。現在は建仁寺所蔵。
神原神社古墳(島根県雲南市加茂町神原)の木棺から出土した銅鏡。中国古代の神仙説話に登場する西王母や東王公などの神仙と、神仙界を守護する霊獣とを表現した神獣鏡であり、中国の魏の「景初三年」(239年)の紀年銘を持っている。
藤原定家の筆道を説く一巻を、江戸初期の茶人小堀遠州(政一)が書写したもの。現在は東京国立博物館蔵。その内容は、平安末期から鎌倉初期の歌人藤原定家による印象的な文字造形「定家様」を書くためのマニュアルとなっている。「定家卿筆道」自体は歌人藤…
平安末期から鎌倉初期の歌人藤原定家が、古来の歌人の歌を一首ずつ色紙形に書いたもの。名称は京都小倉山の山荘の障子に貼ったという伝承にちなむ。戦国期の武野紹鴎が茶の湯に用いて以降、床の掛物として珍重された。
三国時代の烏桓(烏丸)の有力者。三郡烏桓の一つである右北平烏桓の単于。魏の幽州刺史である毌丘倹が遼東の公孫淵を攻めた際に、魏に降って朝貢した。
高句麗は三国時代の呉や、南北朝時代の東晋や南朝宋に対してたびたび馬を献上している。『太平御覧』や『宋書』には、高句麗が献じた馬が「千里馬」「赭白馬」と記されており、名馬であったことがうかがえる。
高句麗の「別種」とされる小水貊で作られた弓。良い弓として、西晋時代の中国にも知られた。以後も高句麗を象徴する武器であったとみられ、最後の高句麗王である宝蔵王は、唐に投降する際に貊弓を献じている。
高句麗の王都。鴨緑江と通溝江の合流地点の北岸に位置し、平地城(国内城)と山城(丸都山城)がセットとなった構造をしている。中国の三国時代、魏の幽州刺史毌丘倹の侵攻を受けた。5世紀前半、長寿王の時代に南の平壌へと遷都された。