戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

興悦筆「溌墨山水図」 はつぼくさんすいず

 戦国期の関東で活躍した絵師の興悦が溌墨技法で描いた山水図。幻庵(伊勢宗瑞の子の幻庵宗哲)が賛文を附している。現在は東京国立博物館の所蔵。

賢江祥啓を継ぐ者

 関東地域における水墨画は、はじめ建長寺円覚寺などの禅林を中心に発展し、室町期の中頃の賢江祥啓の登場により画期を迎えるとされる。祥啓は京都で絵画を学び、祥啓筆「山水図」(根津美術館所蔵)のような、景物を密接に連関させて構築する夏珪様の山水図に結実した。

 その後、祥啓様式の山水図に倣う作例が、祥啓の追随者たちによって多く描き残される。祥啓の様式に学んだ人物として啓牧、啓孫、興牧、啓宗、啓拙斎など複数の絵師の名が知られており、興悦もそうした祥啓次世代の絵師のひとりと目されている。

 興悦は祥啓を継ぐ絵師の中でも現存作例が比較的多く、山水図は4点が残されている。神奈川県立歴史博物館所蔵と大和文華館の作例が、いずれも夏珪様を淵源に持つ楷体の山水図であるのに対して、個人蔵の作例とこの東京国立博物館所蔵の作例は溌墨技法で描かれる草体の山水図となっている。

 興悦が祥啓由来の楷体山水図を描きつつも、別の描法である溌墨山水図をも手がけていたことがうかがえる。

小田原北条氏との関係

 東京国立博物館所蔵の興悦筆「溌墨山水図」は、筆数をなるべく抑え、わざと粗っぽく描いた山水図とされる。中国南宋の画僧であった玉澗の様式にならったものという。

 この山水図には、「幻庵」なる人物の賛文が附されている。「幻庵」は伊勢宗瑞の子の北条長綱(幻庵宗哲)に比定されており、長綱が幻庵と称するのは天文十一年(1542)以降、その没年は天正十七年(1589)とされる。

 興悦印の捺される溌墨山水図のなかに幻庵の賛があることから、興悦が小田原北条氏と関係性があった可能性が指摘されている。

 そして当時の小田原北条氏は、玉澗筆「遠浦帰帆図」を所持していた。茶人山上宗二天正十五年(1587)頃に著した茶湯書『山上宗二記』には、「遠浦帰帆 北条殿ニ在」「其古ハ連歌師宗長所持、其後今川義元所持」とある。玉澗筆「遠浦帰帆図」が駿河国今川義元を経て小田原北条氏に渡っていたことが分かる。

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参考文献

  • 橋本遼太 「【資料紹介】興悦筆溌墨山水図」(『神奈川県立博物館研究報告−人文科学−』第49号 2022)

興悦筆 幻庵賛 「山水図」
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム 

https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-1245?locale=ja