舞楽を踊る11名の演舞者が描かれた巻物で、舞楽図巻として現存する最古の模本。応永十五年(1408)、公卿山科教言が栂尾宮(義仁親王)から借受けた舞絵三巻を、楽人安倍季英に模写させて制作された。現在はサンフランシスコ・アジア美術館所蔵。
山科教言、舞絵を模写させる
現在はサンフランシスコ・アジア美術館に所蔵されている安倍季英模写「応永舞楽図巻」は、紙本著色の巻物。竪28.7センチメートル、横453.9センチメートル。「地久」「散手」「還城楽」「崑崙八仙」などの曲目を舞う舞人11人が彩色で描かれている。
本巻末には権中納言山科教言の奥書があり、以下のように記されている。
応永十五(戌/子)年十一月八日秘本写之 (花押)
この「応永舞楽図巻」の制作については、山科教言の日記である『教言卿記』にも以下のように記されている。
応永十五年十月十六日条
栂尾宮舞絵(三巻、上/中下)借給也、■々可写也
応永十五年十一月八日条
舞絵写了、季英、神妙々々
すなわち応永十五年(1408)十月十六日に栂尾宮(義仁親王)から秘蔵の舞絵三巻を借り受けた山科教言が、楽人の安倍季英に命じて模写させたものであったことがわかる。なお山科家は南北朝期以降近世中期まで内蔵頭を家職とし、家職に関わる装束の知識とともに楽芸では笙を家業としている。
中世の舞楽図制作
中世までの舞楽図の主な作例としては、サンフランシスコ・アジア美術館蔵「応永舞楽図」以外にも、図巻形式の「舞楽散楽図」(陽明文庫)、「舞図」(谷地八幡宮)、「舞楽図(延年)」(根本衝立、北野天満宮)などが知られている。制作の目的は鑑賞だけでなく、舞姿や装束の記録のためでもあったといわれている。
16世紀以前の舞楽図は、主に宮廷絵所をつとめていた土佐派の絵師によって制作されることも多かった。山科教言自身も応永十五年(1408)七月四日、「還城楽」「採桑老」を描いた扇を土佐行広に注文している(『教言卿記』応永十五年七月四日条)。寛正三年(1462)には、足利義政室町殿にある泉之西殿舞十二間において、土佐広周、土佐光信によって舞絵障子が制作されている(『綱光公記』『體源鈔』)。
関連事項
参考文献
- 「応永舞楽図巻」の修復(公益財団法人住友財団)
https://www.sumitomo.or.jp/html/kaigai/kaigai2024/kaigai2402.htm
- 「898_阿部季英筆舞楽図巻(サンフランシスコ・アジア美術館)」(東京文化財研究所)
- 古谷美也子 「宗達筆《舞楽図屏風》の制作背景 : 近世初期における舞楽図の受容から」(『藝叢』32 2016)
- 古谷美也子 「日光山輪玉寺蔵《舞楽図屏風》についての一考察」(『藝叢』34 2019)

応永十五年(1408)の模本を文政三年(1820)に狩野養信がさらに写したもの
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-2416?locale=ja



