戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

魁首の一僧 かいしゅ の いっそう

 応永二十七年(1420)、朝鮮王朝の官人・宋希璟が安芸国蒲刈で出会った海賊の首領。

宋希璟の蒲刈寄港

 応永二十六年(1419)、朝鮮海軍による対馬攻撃(応永の外冦)が発生。これを受けて室町幕府使節を挑戦に派遣していた。宋希璟は室町幕府に対する朝鮮の回礼使として日本に渡航しており、蒲刈へは京都からの帰路に寄港している。

  宋希璟の日本渡航については、復命後に彼が記した『老松堂日本行録』に詳しい。宋希璟一行は、博多商人・宗金が上乗りとして雇った「東賊」の交渉の結果、蒲刈に停泊することになった。そんな一行の船に小舟に乗った人々がやってきて、乗船しての見物を求めてきたが、その中に「魁首の一僧」がいた。

朝鮮語を操る海賊

  宋希璟にとってこの「魁首の一僧」は「甚だ奇異」であった。「起居言変りて吾人と異なるなし」であったというから、朝鮮語を流暢に操ることができ、宋希璟も彼と「欣然として酬答」したという。

 また普段は海賊に対する警戒心の強い宋希璟が、結局周囲に制止されて断念したものの、この僧の居所での喫茶の誘いに応じようともしている。僧が朝鮮の文化・教養を身につけていたことを窺わせる。

蒲刈朝鮮半島とのつながり

 これらのことは、瀬戸内海の海上勢力と朝鮮半島との密接な交流の一端を示している。当時、蒲刈の領主・多賀谷氏は守護大名大内氏に属しており、蒲刈船も大内氏の物資を積載して運行していた(『兵庫北関入船納帳』)。この大内氏赤間関などを拠点に朝鮮貿易も展開しており、海賊衆である多賀谷氏や蒲刈の「海賊」たちも朝鮮貿易に関わっていたのかもしれない。

参考文献

  • 金谷匡人 『歴史文化ライブラリー56 海賊たちの中世』 吉川弘文館 1998

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宋希璟の詩が刻まれている碑。