戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物-01.九州地方

杉 重忠 すぎ しげただ

大内家臣。仮名は新四郎。官途名は大蔵丞。父は杉長忠か。筑前国那珂西郷を知行した。

杉 長忠 すぎ ながただ

大内家臣。仮名は四郎三郎。官途名は大蔵丞。重忠、隆宗の父か。大内氏から筥崎宮領那珂西郷の知行を与えられた。筑前国内での社領をめぐる裁判に関わったことが、史料上で確認できる。

杉 隆宗 すぎ たかむね

大内家臣。官途名は大蔵丞。父は杉長忠か。博多近辺に知行を持ち、大内氏の筥崎宮への関与を担った。天文十六年度遣明船の副土官として中国に渡った。

温科 種重 ぬくしな たねしげ

毛利氏被官。筑前宗像氏にも属した。官途名は吉左衛門尉。弟に波賀多親秀がいる。12端帆の大型船を複数所有し、筑前から山陰にかけての日本海で海上活動を行った。

温科 盛長 ぬくしな もりなが

大内家臣。仮名は弥四郎。官途名は弥左衛門尉。宗像社大宮司・宗像正氏の与力となり、筑前立花山城攻めなど大内氏の北九州経略で活躍した。

能美 和泉守 のうみ いずみのかみ

大内武治家臣。安芸国能美島(現在の広島県江田島市)を本貫とする能美氏の庶流か。子に藤右衛門尉。

中村 彦太郎 なかむら ひこたろう

黒川隆尚(宗像正氏)家臣。天文十年(1541)正月の厳島鳥居沖の海戦で活躍した。

宗像 氏男 むなかた うじお

筑前宗像氏当主。近江権守。宗像氏続の子。弟に千代松丸。宗像正氏の娘を娶って、その猶子となり宗像氏の家督を継いだ。後に周防山口に出仕し、名を黒川隆像と改めた。

宗像 正氏 むなかた ただうじ

筑前宗像氏当主。仮名は四郎。官途名は刑部少輔。宗像興氏の養子。宗像氏男の養父。宗像氏貞の実父。後に黒川隆尚と改名した。周防大内氏の指揮官クラスの武将として、各方面で活躍した。

宗像 興氏 むなかた おきうじ

宗像社大宮司。氏定の子。照葉の父。宗像正氏(黒川隆尚)の養父。妻は陶興房の娘。周防大内氏の後援を受けながら、一族の氏佐と大宮司職をめぐって激しく争った。

岸和田 きしのわだ

岸和田流の創始者とされる炮術師。元来は薩摩出身の商人であったという。

仲 掃部助 なか かもんのすけ

豊後臼杵の住人。豪商仲屋家の一門であったとみられる。天正元年(1573)、とある事案の交渉の為、大友氏の使者として薩摩に赴いた。

池端 重尚 いけばた しげなお

大隈国祢寝院の領主・池端清本の嫡孫。弥次郎。父は清住。「唐人」と「南蛮人」の合戦に巻き込まれて不慮の死を遂げた。

新納 康久 にいろ やすひさ

島津氏家臣。官途名は、右衛門佐、後に伊勢守。島津氏一族である新納氏の庶流。父は新納忠澄。島津忠良・貴久父子に仕えた。

新納 忠澄 にいろ ただずみ

島津氏家臣。右衛門尉、能登守。島津忠良・貴久父子に仕えた。祖父は新納是久。子に新納康久がいる。

計屋 与三左衛門 はかりや よそうざえもん

戦国末期、豊後臼杵の唐人町で計屋を営んだ商人。

陳 元明 ちん げんめい

戦国末期、豊後臼杵に居住した渡来系の漆喰塗り職人。

仲屋 宗越 なかや そうえつ

戦国末期の豊後の豪商。仲屋顕通の子。京堺、そして東アジアとの貿易で莫大な富を得た。多くの史料では、名を「宗悦」としていることが多いが、自身は「宗越」と署名している。

九和 きゅうわ

戦国末期、豊後臼杵の豪商。臼杵では、仲屋宗越につぐ屋敷地を持っていた。大友氏の家臣団名簿にも名を連ねていることから、同氏の御用商人であったとみられる。

仲屋 顕通 なかや けんつう

戦国期の豊後の豪商。享禄・天文年間頃に、豊後府内でにおいて対外貿易で巨利を築いたといわれる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の父。ただ、仲屋乾通は江戸期の編纂物にはみえるが、当該期の一級史料では存在を確認されていない。

仲屋 なかや

戦国初期の豊後の商人。大友氏と関係を持ち、対外貿易にも関わったとみられる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の二代、もしくは三代前の人物か。

ファン・ガヨ ふぁん がよ

天正十五年(1587)、平戸からルソン島のマニラへ渡った渡航船の船長。日本人。同年、ルソン島イスラム系原住民の武装蜂起計画の謀議に関与したとされる。

吉近 はるたさ よしちか はるたさ

平戸の領主・松浦氏の家臣。豊後出身のキリスト教徒。松浦氏の使者として平戸とフィリピンのマニラを往復した。

波多野 蔵人 はたの くろうど

大内武治家臣。家臣団の中心的な人物だったとみられる。父の名は波多野出雲守か。

麻生 隆春 あそう たかはる

大内家臣。土佐守。筑前の有力国人麻生氏の一族か。

麻生 家延 あそう いえのぶ

筑前遠賀郡の国人・麻生氏の惣領・麻生家春の子。 兵部大輔。

麻生 弘家 あそう ひろいえ

15世紀後半の筑前の国人・麻生氏の惣領。上総介。麻生義助の子で、家督を義助から継いだ家春の弟。

宗像 照葉 むなかた てるは

黒川隆尚の後家。宗像氏貞(鍋寿丸)の母。近世成立の史料では、大内氏重臣・陶隆房の姪とされる。氏貞の家督継承に尽力した。なお「照葉」は、増福院の『山田地蔵尊由来記』にみえる名前。一次史料では、「大方殿」と呼称されている。

麻生 興春 あそう おきはる

筑前国の有力国人。大内家臣。兵部大輔。麻生氏の竪系図では上総介弘家の子に配されている。一方で「麻生系譜 全」(『麻生文書』145)では麻生家延の子としている。