戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物-01.九州地方

仲 掃部助 なか かもんのすけ

豊後臼杵の住人。豪商仲屋家の一門であったとみられる。天正元年(1573)、とある事案の交渉の為、大友氏の使者として薩摩に赴いた。

新納 康久 にいろ やすひさ

島津氏家臣。官途名は、右衛門佐、後に伊勢守。島津氏一族である新納氏の庶流。父は新納忠澄。島津忠良・貴久父子に仕えた。

新納 忠澄 にいろ ただずみ

島津氏家臣。右衛門尉、能登守。島津忠良・貴久父子に仕えた。祖父は新納是久。子に新納康久がいる。

計屋 与三左衛門 はかりや よそうざえもん

戦国末期、豊後臼杵の唐人町で計屋を営んだ商人。

仲屋 宗越 なかや そうえつ

戦国末期の豊後の豪商。仲屋顕通の子。京堺、そして東アジアとの貿易で莫大な富を得た。多くの史料では、名を「宗悦」としていることが多いが、自身は「宗越」と署名している。

九和 きゅうわ

戦国末期、豊後臼杵の豪商。臼杵では、仲屋宗越につぐ屋敷地を持っていた。大友氏の家臣団名簿にも名を連ねていることから、同氏の御用商人であったとみられる。

仲屋 顕通 なかや けんつう

戦国期の豊後の豪商。享禄・天文年間頃に、豊後府内でにおいて対外貿易で巨利を築いたといわれる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の父。ただ、仲屋乾通は江戸期の編纂物にはみえるが、当該期の一級史料では存在を確認されていない。

仲屋 なかや

戦国初期の豊後の商人。大友氏と関係を持ち、対外貿易にも関わったとみられる。戦国末期の臼杵の豪商・仲屋宗越の二代、もしくは三代前の人物か。

ファン・ガヨ ふぁん がよ

天正十五年(1587)、平戸からルソン島のマニラへ渡った渡航船の船長。日本人。同年、ルソン島イスラム系原住民の武装蜂起計画の謀議に関与したとされる。

吉近 はるたさ よしちか はるたさ

平戸の領主・松浦氏の家臣。豊後出身のキリスト教徒。松浦氏の使者として平戸とフィリピンのマニラを往復した。

波多野 蔵人 はたの くろうど

大内武治家臣。家臣団の中心的な人物だったとみられる。父の名は波多野出雲守か。

麻生 隆春 あそう たかはる

大内家臣。土佐守。筑前の有力国人麻生氏の一族か。

麻生 家延 あそう いえのぶ

筑前遠賀郡の国人・麻生氏の惣領・麻生家春の子。 兵部大輔。

麻生 弘家 あそう ひろいえ

15世紀後半の筑前の国人・麻生氏の惣領。上総介。麻生義助の子で、家督を義助から継いだ家春の弟。

照葉 てるは

黒川隆尚の後家。宗像氏貞(鍋寿丸)の母。近世成立の史料では、大内氏重臣・陶隆房の姪とされる。氏貞の家督継承に尽力した。なお「照葉」は、増福院の『山田地蔵尊由来記』にみえる名前。一次史料では、「大方殿」と呼称されている。

麻生 興春 あそう おきはる

筑前国の有力国人。大内家臣。兵部大輔。麻生氏の竪系図では上総介弘家の子に配されている。一方で「麻生系譜 全」(『麻生文書』145)では麻生家延の子としている。