戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-03.四国地方

桜井 さくらい

伊予国の今治平野南端に位置する港町。中世には隣接して広い潟が存在していたと推定されている。時宗開祖の一遍が遊行に出発した地としても知られる。16世紀末には国分山城の城下町としての性格も帯びたとみられる。

今治 いまばり

伊予国の今治平野北部にあったラグーンに面した港町。伊予府中の外港の一つだったとみられ、少なくとも鎌倉期から海上輸送の拠点として利用されていた。江戸初期、藤堂高虎により今治城が築かれ、その城下町として再編された。

志度 しど

讃岐国志度湾の奥に位置する港町。中世、東讃の水運基地の一つとなった。平安初期創建と推定される志度寺の門前町でもあった。

嶋 (小豆島) しま

瀬戸内海東部に浮かぶ小豆島の港町。中世、小豆島は塩(嶋塩)の生産地として知られ、塩を運搬する多くの船が発着した。周辺海域で活動する海賊衆の拠点でもあった。

塩飽 しわく

瀬戸内海中央部を扼す備讃海峡の中心に位置する塩飽本島の港町。瀬戸内海航路の重要な寄港地、海関として、また西日本海域全域にわたる水運基地として栄えた。港湾部は、東北岸の「笠島」や東南岸の「泊」であったとみられる。

多度津 たどつ

讃岐国西部・讃岐平野に位置する港町。室町・戦国期、瀬戸内海の水運基地の一つとして栄えた。西讃を支配した守護代・香川氏の城下町でもあった。

仁尾 にお

後背の七宝山、前面の大蔦(津多)島によって風や潮から守られた良港を持つ港町。中世、賀茂社神人らの海上交易の拠点として栄えた。また讃岐守護・細川氏の守護御料所(直轄地)でもあり、西讃の軍事上の要衝でもあった。

橘 たちばな

阿波国南部の大河川・那賀川河口部南方の港町。小島が浮かび、天然の良港を形成する広い湾(橘湾)に面していた。中世、那賀川上流域で伐り出される材木の積出港の一つとして栄えた。

平嶋 ひらしま

阿波国南部の大河川・那賀川河口部北岸に位置する港町。同河川流域や周辺海域で産出される木材や海産物などの物資の中心的な積出港として栄えた。

宍咋 ししくい

阿波国最南部の宍喰川河口部に位置する港町。中世、同河川上流域で伐り出される木材の積出港として栄えた。

甲浦 かんのうら

阿波国との国境に隣接する土佐国の東端の港町。土佐国の玄関口として、畿内と土佐湾沿岸地域を結ぶ海陸の要衝にあった。

浦戸 うらど

土佐湾中央部の内海・浦戸湾の入口に位置する港町。土佐中央部の内陸地域と外洋の結節点として古くから栄えた。

須崎 すざき

土佐湾西岸、複雑な入り江で天然の良港となっている須崎湾に臨む港町。中世、荘園・津野荘と外海を繋ぐ物資の集散地として栄えた。城山南麓、東麓の「原」とその南部に形成された砂州上に立地する「洲崎」の二つの集落からなる。

中村 なかむら

土佐国幡多郡の大動脈・四万十川の下流域に位置する城下町。室町・戦国期、土佐西部の戦国大名・土佐一条氏の本拠として栄えた。中村には他にも多くの河川が集中しており、同郡の交通・経済の中心地だった。

清水 しみず

土佐国幡多郡足摺半島西岸に位置する港町。大船の停泊も可能な深い入江を天然の良港とする。室町・戦国期、土佐沖を経由して畿内と南九州を結ぶ航路の中継港となった。

柏島 かしわじま

宿毛湾の南、大月半島先端部の沖合に位置する柏島の港町。豊後水道と太平洋の境目に位置し、西南四国沿岸海域における海運の要衝にあった。

宿毛 すくも

土佐国幡多郡の西部、伊予国宇和郡から流れる松田川の河口部に位置する港町。中筋川の廻廊によって土佐一条氏の本拠・中村とも通じており、室町・戦国期、同氏の西の外港であったと思われる。

日振浦 ひぶりうら

南予と豊後を隔てる豊後水道に浮かぶ日振島の港町。古代から海上交通の要所となった。

法華津 ほけつ

伊予南部の法花津湾に臨む港町。現在の愛媛県宇和島市吉田町法花津。戦国期、海賊衆的性格を持った伊予南部の有力領主・法華津氏の本拠地となった。

黒瀬松葉 くろせ まつば

伊予国南部・宇和郡の宇和盆地東南の丘陵麓に位置する黒瀬城の城下町。戦国期、宇和郡を代表する領主であった松葉西園寺氏が松葉城から黒瀬城に移った際、新たな本拠となった。

二間津 ふたまつ

豊予海峡に突出した細長い佐多岬半島の北側に湾入した小さな入江に臨む港町。現在の愛媛県西宇和郡伊方町二名津。豊後-伊予間航路の難所である 「速吸の瀬戸」(佐多岬と豊後の海峡部)を通過する際の伊予側の寄港地、停泊地として利用されたと思われる。

大津 おおず

伊予中部の大河川である肱川が貫流する大洲盆地に位置する城下町。中世、領主・宇都宮氏の本拠として栄えた。

内ノ子 うちのこ

伊予中部の大河川・肱川の支流である小田川が貫流する内子盆地に位置した市場町。室町・戦国期、交通の要衝にあることから宿場町として、また国人・曽根氏の城下町としても栄えた。

松前 まさき

伊予国松山平野の西岸、国近川河口部に位置する港町。室町・戦国期、周辺荘園の倉敷地として物資集散を担って栄えた。明応二年(1493)、道基(河野教通)が松崎性尋寺(現・金蓮寺)に発給した禁制には、「湊」の語がみえている。松前が港湾機能を持っ…

三津浜 みつはま

伊予国中部の中心・道後のちょうど西方に位置する港町。堀江などとともに道後の外港を担ったと思われる。

堀江 ほりえ

松山平野・久万川河口付近に位置する港町。戦国期、中部伊予の有力領主・河野氏の本拠・道後の外港の一つであった。河野氏家臣の有力海賊衆・来島村上氏の伊予本土における拠点港でもあり、豊後など北部九州地域と畿内を結ぶ瀬戸内海の新航路の寄港地、水運…

宮窪 みやくぼ

芸予諸島の大島北側の港町。現在の愛媛県今治市宮窪町。戦国期、瀬戸内海屈指の海賊衆・能島村上氏の本拠地だった。

岩城 いわぎ

瀬戸内海、芸予諸島のほぼ中心に位置する岩城島の港町。中世、塩の産地であるとともに海上勢力が拠点を置く水運の基地でもあった。

弓削 ゆげ

平安期以来、塩の荘園として知られた東寺領弓削島荘の港町。同島を含む周辺海域で生産され、瀬戸内海流通の主力商品でもあった塩の運搬を担う水運の基地として多くの船が発着した。