伊予国中部の中心・道後のちょうど西方に位置する港町。堀江などとともに道後の外港を担ったと思われる。
河野通春と湊山城
室町中期、河野氏の惣領家と対立する庶子家・河野通春が、三津浜近郊の湊山城を居城としている。この頃、三津浜は港町としてある程度発展していたとみられる。特に対岸にある周防国や安芸国は、通春と同盟する大内氏の勢力圏でもあり、その関係が深かったと思われる。
伊予中部の要港
戦国期、永禄十一年(1568)、伊予国に出兵した小早川隆景が、家臣・乃美宗勝に堀江、松前とならんで三津浜で船を調達するように命じている。三津浜が伊予国の主要港の一つであったことが分かる。
同時期には豊後国府内周辺の発展を受け、伊予・豊後間の渡海ルートが台頭していた。三津浜も伊予側の港として利用されている。
参考文献
- 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998