戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

5.宝物・名品-01.茶道具

青磁筒(平泉寺玉泉坊所持) せいじつつ

平泉寺の有力坊院主である玉泉坊が所持していた青磁の花入。のちに織田信長の手に渡ったが、本能寺の変の際に失われたと推定されている。

益田壺 ますだつぼ

石見国益田を本拠とする益田氏が所持していた茶壺。千利休から高く評価され、東山御物に認定されたという。益田元祥から毛利輝元に進上されたが、後に輝元が石田三成に進上したため、関ヶ原合戦の際に佐和山城で失われたとされる。

華南三彩牡丹文壺(染羽天石勝神社所蔵) かなんさんさいぼたんもんつぼ

瀧蔵権現(染羽天石勝神社)の別当寺だった勝達寺に所蔵されていたという壺。中国明朝の華南地方で製作された華南三彩系の壺であり、製作年代は17世紀前半と推定されている。

小嶋葉茶壺(華南三彩貼花文五耳壺) おしま はちゃつぼ

毛利家臣の益田元祥が所持していた葉茶壺。寛永二十一年(1644)の「益田元堯諸道具譲渡目録」に「小嶋葉茶壺」としてみえる。中国明朝の華南地方で製作された華南三彩壺であり、現在は益田市東町の萬福寺が所蔵している。

八重桜葉茶壺 やえざくら はちゃつぼ

明智光秀が所持していた名物の葉茶壺。その名は平安期の歌人伊勢大輔の歌に因むという。明智光秀の死後、近江坂本城にて焼失したとされる。

青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆 せいじりんかちゃわん めい ばこうはん

緑水色の青磁の茶碗(青磁輪花碗)。高台周りのひび割れをホッチキスのように鎹(かすがい)で留めて修理してある。張りのある曲線を描いて立ち上がる姿の優美さ、わずかに緑をふくんだ青磁釉の美しさを持つ。なお「馬蝗」とはヒルを意味する。

青木肩衝 あおき かたつき

越前朝倉氏重臣の青木景康が所持していた肩衝茶入。別名は式部少輔(式部丞)肩衝。のちに織田家臣明智光秀の手に渡り、茶会で用いられた。光秀死後は徳川家康が所有していたが、大坂の陣後に美作国津山の森忠政に下賜された。

朝倉肩衝 あさくら かたつき

羽柴秀吉が中国攻めの褒美として織田信長から拝領した茶道具の一つ。その名称からかつて越前朝倉氏が所持していたと推定される。

三日月葉茶壺 みかづき はちゃつぼ

戦国期において「天下無双ノ名物」とうたわれた葉茶壷。三好実休が所持していたが、戦乱の中で六つに割れ、千宗易が継いで修復したことがあるという。後に三好笑岩が降伏する際に織田信長に進上された。信長の時代に焼失したとされる。

つくも茄子 つくも なす

戦国期に「天下一の名物」とうたわれた唐物茶入。足利将軍家ゆかりの名物とされる。越前朝倉氏の一族である朝倉宗滴所持の後、越前府中の山本宗左衛門尉(小袖屋)が譲り受けたが、京都で紛失したところ松永久秀が入手。後に久秀から服属の証として織田信長…

豊後天目 ぶんご てんもく

灰被天目に分類される天目茶碗の名物。越前朝倉氏一族の朝倉景紀が所持していたが、後に織田信長の手に渡り京都所司代の村井貞勝に下賜された。貞勝死後は羽柴秀吉が所有した。

宮王肩衝 みやおう かたつき

中国宋代のものとされる唐物肩衝茶入。その銘は、茶人でもあった能役者の宮王大夫が所持していたことに由来するという(『古名物記』)。織田信長に仕えた松井友閑が所持していたが、後に羽柴秀吉に献上。大坂の陣後に徳川家康から井伊直孝へ下賜され、井伊…

布袋肩衝 ほてい かたつき

備前焼の肩衝茶入。天正十五年(1587)の九州陣の際に千利休が筑前箱崎で催した茶会で用いられた。高級な白地金襴の仕覆に入れられており、袋ばかりが立派ということが銘の由来とされる。

肩衝茶入「さび助」 さびすけ

備前焼の肩衝茶入。古田織部所持と伝えられており、慶長年間かそれ以前の作と推定されている。寛永十三年(1636)の茶会での使用が史料にみえ、江戸後期には茶人でもあった松平不昧が蒐集した茶道具の名物の一つとして挙げられている。

竹花入「園城寺」 おんじょうじ

一重切の竹花入。高さ33.4センチメートル、太さ10.6センチメートル。茶人千利休が羽柴秀吉の小田原遠征に従軍した際に伊豆韮山の竹で作ったとされる。表に大きな割れ目(干割れ)がある。