戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

葉茶壷「三日月」 みかづき

 戦国期において「天下無双ノ名物」とうたわれた葉茶壷。いわゆる「東山御物」の一つ。

戦国期の名壺

 天文二十三年(1554)成立と考えられる『茶具備討集』や、永禄七年(1564)成立の『分類草人木』といった茶書には、「松嶋」とともに「三日月」が名壷として記されている。当時、よく知られた名器であったことがうかがえる。

『山上宗ニ記』にみる来歴

  天正十五年(1587)頃に成立したとみられる『山上宗ニ記』には「三日月」の詳しい伝来が記されている。「三日月」ははじめ奈良の興福寺西福院にあり、その後、商人・日向屋道徳、下京の「袋屋」の所持を経て三好実休の手に渡る。この時、戦乱により河内・高屋城で六つに割れてしまったが、千宗易により修復された。

 「三好老衆」が三千貫の質として太子屋に預けていたところ、太子屋から織田信長へ進上された。割れた後も「名物ノ威光」はまだ増し、代は五千貫とも一万貫ともいわれる高値がついたが、信長の時代に焼失してしまったとされる。

降伏の証

  ただ『信長公記』巻八には「天下隠れなき三日月の葉茶壷、三好笑岩進上にて候ひしなり」とある。実際には天正三年(1575)十月、笑岩が信長に降伏するに際して太子屋からいったん質受けし、これを降伏の証として献上したものとみられる。

 信長は手に入れた「三日月」を「つくも茄子」や「松嶋」、「白天目」などとともに茶会の際に使用している。これらの茶器は笑岩や松永久秀本願寺が信長に服属や和議の証として贈ったものであり、この信長の茶会には織田政権の権威を示す政治的な意図もあったといわれる。

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参考文献

  • 竹本千鶴 『織豊期の茶会と政治』 思文閣出版 2006

山上宗二記』大壺の次第(国立国会図書館デジタルコレクション)