戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2020-05-10から1日間の記事一覧

東海船 とうかいせん

乗員六人の中型船。戦国期、伊勢海と東海沿岸、内海(江戸湾)で運航が確認される。

ハガセ はがせ

六枚櫂の中型船。近世の史料には「羽風」、「羽賀瀬」としてみえる。船底は平らで堅牢であったが、ムシロ帆による帆走の性能は低かった。主として櫂走であり、そのため波の荒い日本海においても航行が可能で、日本海沿岸を広く活動したという。

安宅船 あたけぶね

戦国期日本における最大級の戦艦。小型で500石、大型では2000石にも及ぶ積載量をもち、盾板(装甲用の硬く厚い板)で装甲し、甲板上には2層ないし4層の楼閣(矢倉)を備えていたといわれる。その巨大な積載量を生かして鉄炮や大筒(石火矢)などの…

脇差「来国俊」 らいくにとし

毛利家臣・児玉元良が所持していた脇差。元亀三年(1572)四月、元良から厳島神社に寄進された。 来歴 厳島神社の宝物 参考文献 来歴 児玉元良が厳島社家野坂房顕に宛てた寄進状によれば、元々は室町幕府管領・細川高国が所持していたものらしい。その後…

太刀「新鬚切」 しんひげきり

刀長70.8センチメートルの太刀。新鬚切との号が伝わる。吉川元春の子、元資(後の元長)から厳島神社に寄進された。 備中国青江派包次の名刀 厳島神社の宝物 参考文献 備中国青江派包次の名刀 銘は「包次」。包次は鎌倉初期(13世紀前半)、備中国青江…

玉礀筆「遠浦帰帆図」 えんぽきはんず

中国南宋の画僧・玉礀(ぎょっかん)によって描かれた墨絵。中国の洞庭湖に注ぎ込む瀟水と湘水の周辺の山水自然を、水墨の濃淡で描いた「瀟相八景図」の一景。

茶入「つくも茄子」 つくもなす

戦国期に「天下一の名物」とうたわれた唐物茶入。村田珠光が買い求めた時の価格が九十九貫だったので、『伊勢物語』の「百年に一とせ足らぬ九十九髪我を恋ふらし面影に見ゆ」を引いて銘としたとされる。

葉茶壷「三日月」 みかづき

戦国期において「天下無双ノ名物」とうたわれた葉茶壷。いわゆる「東山御物」の一つ。

茶碗「馬蝗絆」 ばこうはん

緑水色の青磁の茶碗(青磁輪花碗)。高台周りのひび割れをホッチキスのように鎹(かすがい)で留めて修理してある。張りのある曲線を描いて立ち上がる姿の優美さ、わずかに緑をふくんだ青磁釉の美しさを持つ。

宗延 そうえん

和泉国堺出身の貿易商人。琉球に渡航して琉球王府に仕え、東南アジアとの貿易に従事した。『蒙姓家譜』によれば、宗延は嘉靖二十二年(天文十二年、1543)の生まれで、もとは日本の「境(堺)」の住人であった。唐名は蒙茂昌、俗名を川崎利兵衛といった。

真三郎 まさぶろ

琉球王国の家臣。1541年八月、琉球王の命令を受けて東南アジアへ貿易のために派遣された。

麻生 興春 あそう おきはる

筑前国の有力国人。大内家臣。兵部大輔。麻生氏の竪系図では上総介弘家の子に配されている。一方で「麻生系譜 全」(『麻生文書』145)では麻生家延の子としている。

芦屋 あしや

筑前国遠賀川河口部に位置する港町。中世、同じく北九州にあった門司や博多と連携する海運の拠点として栄えた。

甘葛 あまづら

深山に自生する蔦(つた)の一種。もしくは、この蔦の樹液を集めて煮詰めて作られたシロップ状の天然甘味料。日本では砂糖の本格普及以前の甘味料として重宝された。

焔硝 えんしょう

硝酸カリウムを主成分とする鉱物。硝石。鉄炮の火薬(玉薬)の材料として、炭、硫黄とともに調合された。戦国期、日本国内の焔硝の需要は主に海外からの輸入に依存していた。一方で焔硝の抽出方法は知られており、国産の焔硝も一部使用された。 鉄炮伝来と玉…

赤間硯 あかますずり

長門国赤間関で作られた硯。長門国の名品として全国的に知られており、寛永二十一年(1645)刊行の俳諧論書『毛吹草』には長州名物として船木櫛、萩焼と並んで掲載がある。原石は赤間関周辺で採掘されていたが、江戸期になると厚狭郡の稲倉山や同郡内山…