戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

太刀「新鬚切」 しんひげきり

 刀長70.8センチメートルの太刀。新鬚切との号が伝わる。吉川元春の子、元資(後の元長)から厳島神社に寄進された。

備中国青江派包次の名刀

 銘は「包次」。包次は鎌倉初期(13世紀前半)、備中国青江(現在の岡山県倉敷市)で活動した青江派の刀工。

 永禄八年(1565)十二月、吉川元資は厳島神社への寄進にあたり、太刀の来歴を書き記している。これによれば、元々は足利尊氏の所持品だったが、大内義興が在京していた際に当時の室町将軍・足利義稙から拝領したらしい。義興は永正五年(1508)から永正十五年(1518)まで京都方面に滞在し、細川高国とともに足利義稙の政権を支えていた。

 その後、太刀は大内氏重臣の内藤氏から毛利隆元に贈られた。隆元の正室が、内藤興盛の娘であるというつながりによるか。元資はこの隆元から太刀を賜ったとしている。

厳島神社の宝物

 来島村上氏が毛利方から離反した天正十年(1582)四月、厳島社宝物の桜尾城への避難が計画される。その際に作成された「宝物預り注文」にも「荒波」、「乱髪」、「来大郎」、「国俊脇差」などの銘刀とともに「新髪切」がみえる。「元長御寄進」との注があるので、新鬚切と同じものと考えらえる。

 なおこの太刀は現在でも厳島神社に保管されており、国の重要文化財に指定されている。

参考文献

嚴島圖會 10巻 [9] 国立国会図書館デジタルコレクション