戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

脇差「来国俊」 らいくにとし

 毛利家臣・児玉元良が所持していた脇差。元亀三年(1572)四月、元良から厳島神社に寄進された。

来歴

 児玉元良が厳島社家野坂房顕に宛てた寄進状によれば、元々は室町幕府管領細川高国が所持していたものらしい。その後大内氏重臣陶晴賢を経て、元良の秘蔵となったとされる。

 陶晴賢の父・興房が仕えていた大内義興は、永正十五年(1518)まで京都方面に滞在し、細川高国とともに将軍・足利義稙の政権を支えていた。興房はこの間に、高国の「来国俊」を得る機会があったのかもしれない。

 天文二十四年(1555)十月の厳島合戦における陶晴賢敗死後、元良(または元良の父就忠)の手に渡ったと考えられる。

厳島神社の宝物

 来島村上氏が毛利方から離反した天正十年(1582)四月、厳島社宝物の桜尾城への避難が計画される。その際に作成された「宝物預り注文」にも「荒波」、「乱髪」、「来大郎」、「新鬚切」などの銘刀とともに「国俊脇差」も記されている。

参考文献

嚴島圖會 10巻 [9] 国立国会図書館デジタルコレクション