戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

3.人物-03.四国地方

前伯耆守 通定 さきのほうきのかみ みちさだ

伊予国守護・河野氏の被官。在京中の当主と接触する立場にあった。一方で京都の東寺からは海賊と認識されており、東寺領弓削嶋荘の年貢徴収を請け負った。後の海賊衆・来島村上氏に連なる人物ともされる。

下嶋 親忠 しもじま ちかだた

来島村上家臣。官途名は次郎左衛門。実名の「親忠」は、永禄二年(1559)六月十三日付の志駄岸八幡宮(山口県大島郡屋代島)の「御頭切田辻之事」にみえる。一般的な書状には下嶋次郎左衛門としてみえる。

村上 武備 むらかみ たけとも

来島村上家臣。仮名は源三郎。近世に作成された「河野分限帳」(河野氏家臣団の一覧)に名が見える。

村上 吉賢 むらかみ よしかた

来島村上氏の重臣。筑前守。 当主通康の弟。内蔵大夫吉高の父。伊予国和気郡の葛籠葛城主として、来島村上氏の要港・堀江の支配に関わった。

村上 図書助 むらかみ ずしょのすけ

弓削島荘所務職を持つ村上治部進の一族か。弓削島荘に侵入する諸勢力と戦った。

村上 治部進 むらかみ じぶのじょう

伊予国弓削島にあった東寺領弓削島荘の所務職。応永二十八年(1420)八月に所務職となった村上右衛門尉の子か。

村上 右衛門尉 むらかみ うえもんのじょう

伊予国弓削島にあった東寺領弓削島荘の所務職。来島村上氏の系統か。

戸崎 吉弘 とざき よしひろ

能島村上家臣。杢之允。武吉、元吉に仕えた。

櫛橋 備後守 くしはし びんごのかみ

能島村上家臣。家中にあって主に毛利氏との折衝を担当した。

村上 景広 むらかみ かげひろ

能島村上家臣。仮名は少輔五郎。官途名は弾正忠、後に八郎左衛門。村上隆重の子。景則の父。東吉種の弟。妻は小早川家臣・椋梨景良の娘。父隆重とともに備中笠岡に進出して以後は、主家を支えつつも小早川警固衆としても活動するようになる。

島 吉利 しま よしとし

能島村上家臣。官途名は中務少輔、後に越前守。村上武吉に仕えて活躍した。

今岡 伯耆守 いまおか ほうきのかみ

能島村上氏の有力者。16世紀中頃、若き当主・村上武吉とともに能島村上氏の代表者的な役割を果たした。

今岡 三郎兵衛 いまおか さぶろうひょうえ

能島村上氏に属す今岡氏の一族か。官途名は民部大輔。天文二年(1533)頃の十一月、薩摩島津氏に琉球渡航を打診した。

今岡 通詮 いまおか みちあき

能島村上氏に属す今岡氏の一族か。官途名は民部大輔。天文二年(1533)頃の十一月、薩摩島津氏に琉球渡航を打診した。

村上 義益 むらかみ よします

能島村上氏の当主。 宮内少輔。村上義雅の嫡子。父の早世後、家督を従兄弟の村上武吉と争った。

村上 義忠 むらかみ よしただ

能島村上氏の一族。官途名は掃部助、あるいは掃部頭。村上隆勝の次男。武吉の父。兄に義雅、弟に隆重がいる。

村上 隆勝 むらかみ たかかつ

能島村上氏の当主。官途名は 宮内大輔、後に山城守。子に義雅、義忠、隆重。村上武吉の祖父にあたる。

平池 大隅 ひらいけ おおすみ

鎌倉末期の讃岐国仁尾の住人。元徳二年(1330)三月二十五日付の人身売買文書中に「平池大隅殿」としてその名が見える。

香川 信景 かがわ のぶかげ

西讃岐を支配した有力国人・香川氏の当主。中務大輔。天正年間に織田氏と毛利氏の支援を受けて阿波三好氏と戦い讃岐西部の支配を固めた。後に土佐の長宗我部氏と同盟。同氏の讃岐制圧および伊予侵攻で重要な役割を果たした。

イエズス会定宿の主 いえずすかい じょうやど の あるじ

瀬戸内海の中継港である塩飽で宿を営んでいた人物。イエズス会士たちは、布教拠点である豊後と京都を往来するため、瀬戸内海をたびたび航行していた。イエズス会士たちは、塩飽においては彼の宿を定宿とし、この主も塩飽における様々な便宜を図ってイエズス…

岩城屋 いわぎ や

天文二十三年(1554)、小早川隆景の生口島調略に中心的な役割を果たした商人。その名から生口島の東にある岩城島出身と考えられる。