戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

櫛橋 備後守 くしはし びんごのかみ

 能島村上家臣。家中にあって主に毛利氏との折衝を担当した。

毛利氏への使者

 永禄年間の十二月、毛利元就と隆元は、能島村上氏当主・村上武吉に宛てた書状の中で、櫛橋備後守が罷越したので塩飽までの上乗として雇ったこととともに、両家の友好関係などについて委細は「櫛備」(櫛橋備後守)に言い含めたことを伝えている。

 上乗とは、浦々での海賊たちによる通行料要求や襲撃から船舶の安全を保障するために有力海賊の一族、家臣が船に同乗することを指す。毛利氏の船であっても、能島村上氏の支配海域を航行する際は、櫛橋備後守のような上乗を必要としていたことがうかがえる。

能島と毛利氏のつなぎ役

 また永禄六年(1563)頃、毛利元就は一族の兼重氏に対し、備前宇喜多氏の攻撃にさらされる「連嶋」(細川通薫)を支援するために、能島村上氏の動員を命じている。このとき元就は条件等について「櫛橋」に「よき様ニふくめ」、能島を動かすために夜を日に継いで櫛橋を派遣して調略するよう指示している。このあたり、櫛橋備後守が毛利氏の能島村上氏との交渉窓口として重要な役割を果たしていたことがうかがえる。

参考文献