戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市-06.北陸・信越地方

岩船 いわふね

内陸部からの河川が流れ込んでいた中世の岩船潟の入口に位置した港町。周辺物資の集散地であるとともに、潟を停泊地として日本海水運にもつながっていた。

新潟 にいがた

越後国の大水系である阿賀野川・信濃川の河口部に位置する新興の港町。戦国後期以降、ともに「三ヶ津」と称された蒲原や沼垂をしのぐ繁栄をみせた。

蒲原 かんばら

越後国の大水系である阿賀野川・信濃川の合流地の東側に位置した港町。両川の河口が控える水上交通の要の位置にあり、中越・下越はもとより信濃・会津にまでつながる人と物資の集散地として栄えた。

松ヶ崎 まつがさき

佐渡国南岸の船の着岸に便利な砂州上に形成された港町。越佐海峡の対岸にある佐渡渡海の基点・寺泊との最短距離にあることから、佐渡の国津として同国の海の玄関口であった。

沢根 さわね

佐渡国西部、真野湾北岸の港町。戦国期に開発されたと伝えられる鶴子銀山の外港として急速に発展し、日本海海運の要港となった。

出雲崎 いずもざき

越後国中部、柏崎から海岸沿いを北に延びる街道沿いに位置した港町。中世、街道の要衝として、また対岸の佐渡への渡航地、日本海航路の要港として栄えたとみられる。

蔵王堂 ざおうどう

越後国中部、信濃川支流の魚野川と破間川の合流点付近に位置した市場町。陸上交通と河川水運の要衝。魚沼郡で生産され、全国に流通した青苧や越後布の流通拠点としても栄えた。

堀之内 ほりのうち

越後国中部、信濃川支流の魚野川と破間川の合流点付近に位置した市場町。陸上交通と河川水運の要衝。魚沼郡で生産され、全国に流通した青苧や越後布の流通拠点としても栄えた。

小千谷 おぢや

越後国中部、信濃川の上流沿いに位置した市場町。越後府内から柏崎などを経て、上野国へ至る越後-関東間の主要街道の宿場であった。同時に魚沼郡で生産され、全国に流通した青苧や越後布の流通拠点としても栄えた。

柏崎 かしわざき

越後中部の鵜川、鯖石川河口部に位置する港町。中世、日本海航路の要港として、また越後西部と南北魚沼郡、上野国を結ぶ街道の要衝として海陸の結節点となって繁栄した。

柿崎 かきざき

越後国頚城郡、関川の河口部に位置する港町。中世、関川流域の頚城郡や越後国府(府内)の港として、また東日本海海運の東西を結節する要港として多くの船が往来して栄えた。

直江津 なおえつ

越後国頚城郡、関川の河口部に位置する港町。中世、関川流域の頚城郡や越後国府(府内)の港として、また東日本海海運の東西を結節する要港として多くの船が往来して栄えた。

越後府内 えちご ふない

中世、上越の中心都市。守護所が置かれる政治都市として、また経済都市としても栄えた。要港・直江津に隣接する。下越方面へ延びる北陸道、および信濃方面へ延びる善光寺街道の基点でもあり、海陸交通の要衝にあった。

輪島 わじま

能登半島の北端部に位置する港町。中世、日本海航路の要港として繁栄した。戦国期に成立した『廻船式目』に「三津七湊」の一つとして挙げられる。全国的にも知られた港町であった。

中居 なかい

能登半島の七尾北湾の深い入江に臨む港町。中世、能登釜として知られる鉄釜をはじめとする鋳物の生産と、積み出しで栄えた。

能登府中 のと ふちゅう

能登島に守られた天然の良港・七尾南湾に面する港町。中世能登の政治的中心として栄えた。さらに府中の北西約1キロには、所口湊が並立して栄えていた。

七尾 ななお

室町・戦国期の能登国守護・畠山氏の拠城・七尾城の城下町。七尾城の西北麓、現在の七尾市古屋敷町や古城町に形成された。

放生津 ほうじょうつ

中世はラグーン状であったとみられる内川の南岸に形成された港町。日本海海運の要港として栄えた。庄川や小矢部川、神楽川、また放生津潟に注ぐ鍛冶川、下条川によって越中西部各地と連絡した。これら河川上流域の年貢等は、放生津から越前方面に積出された…

宮腰 みやのこし

北加賀の低湿地帯を蛇行して海に注ぐ犀川の河口部に位置する港町。河川水運を介して内陸地域とつながり、北加賀の要港として栄えた。

吉崎 よしざき

越前の最北部、大聖寺川と北潟湖の河口部に位置する港町。加賀国・安宅と越前国・三国湊を結ぶ海路の中継港として、また陸路でも街道によって北陸道と結ばれる交通の要衝として栄えた。

三国湊 みくにみなと

越前国の平野部を貫流する大河川・九頭竜川の河岸に位置した港町。中世、越前国の海の玄関口として日本海沿岸部はもとより、海外との交易でも栄えた。

金津 かなづ

越前と加賀を結ぶ北国街道と、竹田川の水運の交点に位置した市町。中世、興福寺大乗院の荘園である坪江・川口荘の中心として、また宿場町としても栄えた。

北庄 きたのしょう

北国街道、足羽川、交差点に位置する市場町。越前北部地域(足羽、吉田、坂井の三郡)の実質的な中心地を担って栄えた。周囲の社庄(石場)、木田庄とともに三ヶ庄とも呼ばれた。

平泉寺 へいせんじ

白山の登拝口に開かれた白山信仰の拠点・平泉寺の境内地と、その周辺の複数の市町からなる一大宗教都市。越前の大動脈・九頭竜川沿岸に位置する。

阿波賀 あばが

越前朝倉氏の本拠・一乗谷の下城戸に隣接する市町。一乗谷の商業地区として繁栄した。三国湊へつづく足羽川に接し、さらに北の庄と美濃を結ぶ美濃街道が通る交通の要衝に位置する。

一乗谷 いちじょうだに

戦国期、越前を中心に広域を支配した朝倉氏の本拠となった城下町。。越前平野主要部へ通じる足羽川、美濃街道に北接する南北の細長い谷に形成された。朝倉氏のもとで文化人、要人が訪れるなど文化的、政治的にも繁栄した。

水落 みずおち

越前を南北に貫く「海道」(北国街道)沿いに位置する宿場町。中世、陸運の拠点として栄えた。町内に水落神明社があり、その門前町的性格も持っていたとみられる。

越前府中 えちぜん ふちゅう

古くから国府、守護所が置かれる中世越前の中心都市。 加賀へと抜ける北国街道が今泉・河野浦、敦賀へと至る西街道と分岐する交通の要衝にある。宿場町であり、多くの寺社が存在する門前町的な性格も備える北国街道最大の都市。

敦賀 つるが

敦賀湾の奥に位置する港町。古代以来、日本海航路における京都への玄関口としての地位を占めて大いに繁栄した。

小浜 おばま

北国街道脇往還が通る小谷山(小谷城)の南西麓に形成された城下町。戦国大名・浅井氏の本拠地として江北の政治的中心となって栄えた。