戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-04-12から1日間の記事一覧

佐渡海苔 さどのり

佐渡国において採取・加工された甘海苔。中世には佐渡を代表する物産として珍重された。

青苧(越後) あおそ

芋(からむし)から繊維を取り出し、乾燥させて束とした中間製品。本項で取り上げるのは越後国の魚沼郡・頚城郡を中心とした地域で生産されたもの。この越後産青苧からの紡糸により、越後布などの芋麻布が織られた。

能登釜 のとがま

能登国七尾北湾の要港・中居で生産された鉄釜。

輪島索麺 わじまそうめん

戦国期、輪島で生産された一種のお菓子。京都にも「輪島索麺」の名で知られた。索麺は、小麦粉を塩水でこね、油で細く引き伸ばして線状にし、日光に乾燥させて作るもので、中世、禅僧の点心(おやつ)用や酒の肴として嗜好された。

輪島 わじま

能登半島の北端部に位置する港町。中世、日本海航路の要港として繁栄した。戦国期に成立した『廻船式目』に「三津七湊」の一つとして挙げられる。全国的にも知られた港町であった。

中居 なかい

能登半島の七尾北湾の深い入江に臨む港町。中世、能登釜として知られる鉄釜をはじめとする鋳物の生産と、積み出しで栄えた。

能登府中 のと ふちゅう

能登島に守られた天然の良港・七尾南湾に面する港町。中世能登の政治的中心として栄えた。さらに府中の北西約1キロには、所口湊が並立して栄えていた。

七尾 ななお

室町・戦国期の能登国守護・畠山氏の拠城・七尾城の城下町。七尾城の西北麓、現在の七尾市古屋敷町や古城町に形成された。

放生津 ほうじょうつ

中世はラグーン状であったとみられる内川の南岸に形成された港町。日本海海運の要港として栄えた。庄川や小矢部川、神楽川、また放生津潟に注ぐ鍛冶川、下条川によって越中西部各地と連絡した。これら河川上流域の年貢等は、放生津から越前方面に積出された…

宮腰 みやのこし

北加賀の低湿地帯を蛇行して海に注ぐ犀川の河口部に位置する港町。河川水運を介して内陸地域とつながり、北加賀の要港として栄えた。

生口船 いくちせん

備後国生口島を本拠とする海賊衆・生口氏が運用する船舶。応永二十九年(1422)十二月、生口船が室町幕府から諸関での関銭(関所の通行料)免除特権を与えられたことが、兵庫で大きな問題となった。

向上寺 こうじょう じ

備後国生口島・瀬戸田の北、潮音山に建てられた臨済宗仏通寺派の寺院。応永十年(1403)、生口島地頭・生口氏を大檀那として建立された。以後、生口氏と港町・瀬戸田の隆盛にともなって発展した。

生口神社 いくち じんじゃ

備後国生口島・瀬戸田の市街地北側、向上寺山の南麓に鎮座する神社。近世編纂の『芸藩通志』には、祇園社とみえる。一説によれば永禄十二年(1569)に、祇園社が勧請されたといわれる。