佐渡国において採取・加工された甘海苔*1。中世には佐渡を代表する物産として珍重された。海苔は特に精進料理の具材や茶の子*2などに需要があったといわれる。
贈答品として用いられる
佐渡の甘海苔は、平安期の『延喜式』にはみえない。しかし13世紀後半頃には、北条一族の金沢貞顕が、佐渡島や伊勢、出雲などから「甘海苔」を取り寄せて称名寺に贈っている。
また一時は幕府によって佐渡に流されたこともあった日蓮のもとには、佐渡の紺入道からワカメ、コモなどとともにアマノリが二袋贈られている。袋は紙袋であり、当時の甘海苔は採取したまま紙袋に入れて輸送していたことがうかがえる。
京都に送られる佐渡海苔
京都相国寺・鹿苑院蔭涼軒主の日記『蔭涼軒日録』の長享二年(1488)八月条には、「佐渡海苔脱カ一箱、毎事嘉例」とある。佐渡海苔が定期的に相国寺に送られ、珍重されていたことが分かる。
室町・戦国期、甘海苔は公家の食事の品目にもよくあがっており、『続庭訓往来』でも茶の子として「甘苔」が挙げられている。茶の湯や喫茶の流行とともに、その需要を増していたとみられる。
佐渡と敦賀や小浜などの日本海沿岸諸港との間には多くの廻船が運航していた。佐渡海苔などの佐渡物産も、このような海運を通じて運ばれたと思われる。