戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

生口神社 いくち じんじゃ

 備後国生口島瀬戸田の市街地北側、向上寺山の南麓*1に鎮座する神社。近世編纂の『芸藩通志』には、祇園社とみえる。一説によれば永禄十二年(1569)に、祇園社が勧請されたといわれる。

生口景守の寄進

 『豊田郡誌』所収の天正八年(1580)「生口景守寄進状」には、生口島総鎮守祇園社とあり、生口景守が永代禄3石を社家に与えている。また『豊田郡誌』には、天正六年に茶臼山城主・生口孫三郎(景守)が木刀一振を寄進したとも記されている。

生口島における景守の活動

  生口神社に寄進を行った生口景守は、永禄年間から小早川警固衆や村上海賊衆らとともに海上活動を展開したことが史料に見える。

 本拠である生口島でも、天正四年に中野荒木神社の随神像の大檀那になったり、名荷神社や宮崎八幡神社の造営、地蔵院の移転などを行ったともされている。少なくとも16世紀後半から、生口島の寺社の保護に努めていたことがうかがえる。

参考文献

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生口神社の境内。